ことばにすることのたいせつさ。どこにある、話す場所は?

昨日、ブログで「ことばにすることのたいせつさ」をかいて、「はなすことの一回性」のよさとかをかいた。

ぼくは、「はなすことができる場所」をいくつかもっている。

①居酒屋のマスター

 ながく商売をつづけているひとなので、相当な人間観察力をもっているし、人生観、人生哲学のたぐいも洗練されているし、言語化するちからもたくみだ。ぼくの意をくんでくれるだけじゃなく、ときには、ぼくの話から、マスターはのれんをしまったあとも、熱弁してくれる。えがたき関係だ。

鍼灸の先生

 おもに治療の一環で病気や心身の話をするけれど、熱血漢なので人生のことから、ぼくの興味関心のことまで、たくさんの助言をくれる。ぼくの話もおもしろがってきいてくれる。「研究の気づきになった」といってくれることもあり、率直にうれしい。相当な勉強家で、尊敬している。

③哲学の研究者

 すこし年上の先輩。偶然しりあったが、意気投合して、先輩後輩の関係みたくなっている。いっしょに酒をのんだときは、いつも口角泡をとばして、6時間くらい、しゃべりつづけている。

④メンズエステのセラピスト

 リラクゼーションのプロで、心身のいやしをあたえてくれる。心身のことについて、気づかしてくれることがおおくて、感謝している。お話をしながら、マッサージをうけているのだけど、しだいに心身の感覚がとぎすまされてきて、自由を感じる。いつもあまえっきりになってしまう。

性風俗の女性

 性風俗には、聡明な人間がおおい。もちろん、おなじように、病んだ人間もおおい。ただ、どちらの人間も、人間のことをよくしっている。裏と表、本音と建前のことにはじまり、社会観なども鋭敏で、すごく勉強になる。単純にはなしていて、たのしいので、ぼくは、エッチなこと目的ではなく、おしゃべりだけのためにいくことが、しばしばある。ウソじゃなくって。

 

というわけで、「はなすことができる場所」は、さがせばたくさんある。

どこも、多少のお金は必要だけど、経済的負担がない範囲なら、十分なくらいの対話のたのしさを味わうことができる。