hide(X JAPAN HIDE)の詞のつよさ。zilchとの比較をとおして、うきぼりになる。
hideの歌は、どの詞もつよくひびいてくる。
音だけでも、十分にたのしめるくらいなのだけど、詞がすごくつよい。
音楽的なすごさが、かすんでしまうくらい、hideの詞のもつちからはつよいと、ぼくはおもう。
hideはインタビューで、「詞は、自分のことしか、かけない。」とはなしていたが、これは詞のつよさを説明する、ひとつかもしれないとおもう。
hideの詞からは、hide自身がみてきたことがイメージできるような気がする。
hideの詞がもつちからは、かれの妄想と行為の足跡が、ことば化されて、詞の世界として、うつしだされていることにあるようにおもう。
このことは、zilchのアルバム『3・2・1』をきくと、明白になる気がする。
このアルバムは、ほぼ全編英語詞で構成されている。
多少、日本語はでてくるが、ほとんどが意味不明のものであり、意味がとれるのは、アルバムのはじめに、「日本の神奈川県横須賀市からいらっしゃいました、松本秀人さんです。はりきって、ぞうぞ。」というものくらいだ。
ぼくは英語を不勉強なので、ほとんど意味をとることぎできないし、zilchに関しては、翻訳する必要はないとすら、おもっている。
なぜなら、zilchは、唯一、「詞のつよさ」から解放されているhideの音楽だからだ。
zilchでは、hideの「音の世界」をたのしむことが、可能なのだ。