愛しているって、どういうことなのだろう。

愛って、いったいなんなのだろう。

わかれがきたとき、「わかれたくない」とおもう気もちは、それは愛なのだろうか。

愛しているから、相手が傷つかないように、ひっそりと身をひくのがよいのだろうか。

それとも、なお「わかれたくない。ぼくはきみのことを愛しています。」とつたえることが、よいのだろうか。

相手がわかれの決意をしたときに、こちらがその決意をゆらがすようなことをするのは、エゴなのだろうか。

愛しているからこそ、愛しているということを最後にもう一度つたえたくなることは、まちがっているのだろうか。

このくるしみって、なかなかたえられない。