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こころをあらわす「円」について
ユングは、曼陀羅をみて、自己のこころの深層には、こういうものがあると、ひらめいたらしい。
なんというか、自分のこころは、円というか、球体というか、そういう感じは、むかしからしていたけれど、河合隼雄やユングを勉強してから、きっと、たしかに、こころは円、球体のはずだとおもうようになった。しかし、おもうようになっただけで、理解はしていない。
こころのイメージとしての「円」
最近、それをちょっと理解した気がしている。ぼくはFacebookに、こんなことをかいている。
もうじきなにかが完成しそう。
内的なところで、なにかが完成しそう。
夢と孤独と、そして、普遍的自由?
なにか自己というまとまりのなかに、夢と孤独と「わたし」と自由が円というか、輪をつくるような。
球かもしれないな。
その球は、右に左に上に下に、くるくるとまわりつづけていて。
よどみなくまわりつづけているような。
3月16日
また、すぐに、こんなこともかいている。
夢、孤独、自分、自由。
4つことばにできたことが重要だとおもう。
自己について、4つことばにできたら十分やろう。
複雑怪奇な自己のことについて、4つもみつけることができたのだから、これでいいやろう。しかもそれらは、自己を中心に、球体のふちをまわりつづけていることもわかったのだから。
十分すぎるとおもう。
3月16日
ここ最近、重大な内的な変化がおきている実感があるのだけれど、それをうけて、うえのようなことばが、自分からでてきている。
内的変化のまえに、円をよくかいていた
お絵かきアプリをつかって、なにかしらんが、円をよくかいていた。
こころのことをなにかつかめそうな感じがつづいていたころ、気づいてみたら、いくつかかいていた。