無理をしない②週5日労働は、ぼくの身体はたえきれない(自己の心と身体をわけて定義する)
今日は、ちょっとからだをこわして、仕事をやすんだ。ふつうにめっちゃつかれていて、からだの気だるさもある。
唐突に、自分の心身のことを定義しなおす方がよいかもしれないとおもった。
このまま"ふつう"のひとたちと、おなじ活動量で、はたらいていくことができるかというと、ちょっと疑問がでてきた。
就労というものを3年経験し、労働社会にもまれたけれど、毎日ヘトヘトだ。いっこうに体力はつかない。週5日労働が基準なのだとすると、このまま数十年も、それを継続するのは、からだがもたない。
憂うつとか、そういうこころの問題ではなくて、からだが単純に、おもたい。この年齢で、たちあがるとき、「よっこらせ」なんて、口ぐせができている。
むしろ、いままでやってこれたのは、こころのコントロールで、なんとかしのいできた感じでしかない気もしてきた。
ぼくのいきづらさの根は、「はたらきたくない!」とか、「社会にでたくない!」とか、そういう素朴なこころの問題ではないようにおもえてきた。
単純に、からだが、この社会の活動量の水準では、もたないのだ。
おもいかえすと、学校の体育で、冬になると持久走があったけれど、ぼくは毎回、「いのちをもやしている」と感じていたし、冗談めかして、ことばにもしていた。
だいたい、ぼくは日ごろ、9時間以上睡眠時間をとらないと、からだがすっきりしないのだ。世のなか的には、たぶん睡眠時間は7~8時間で、なりたっているとおもうけれど、それでは無理だ。
本題にもどって、自分の心身のことを定義しなおす。
ぼくはたぶん、こころはつよい方だ。もちろん、傷つきやすかったり、よわいところもあるけれど、総体としては、まあまあつよいはずだ。
反対に、からだは、よわい。これはしっかり理解しておくべきだとおもう。
こころのよわさがでてくるときは、かならず、からだがよわっている。からだの危機を感じたときに、こころがよわりはじめる。
この社会の活動量の水準が100だとすると、ぼくの活動量は、せいぜい70だ。がんばっても、80が限界だ。
活動量70くらいで、いきていけるようなスキマをさがした方がよいかもしれない。そういう意味での転職をすべきかもしれない。
バリバリ仕事をして~みたいな健康人がもつような、労働観、仕事観、人生観、心身観などは、もうもたない方が、"身"のためかもしれない。
週5日はたらくだけで、ヘトヘトになる人間なのだという認識をもつ方がよさそうだ。