「事実とウソ」と自己の関係について~他者の死とむきあう経験から~

母方の祖母が、ぼくが10歳のときに、なくなりました。

祖母の家で葬式はおこなわれ、最後、棺におわかれの花をいれました。祖母の顔は、頭蓋に皮一枚がピタッとはりついたようになり、うごいていたころよりも、ひとまわりほど、ちいさくみえました。

いきていることを「うごいていた」と表現するのは変な気もしますが、花を棺にいれているときの自分は、まだ祖母はしんだのだという実感がなかったのです。死というものの概念がなく、その裏がえしとして、生の概念ももっていなかったとおもえるので、祖母は「うごかなくなった」というのがピッタリと、いいあらわせているような気がするのです。あの場にいたときの感じを、いまことばにすると、このようになりますが、当時はもうすこしあいまいだったかもしれません。なにがおきているのか、このようには、ことばにすることはできず、もうすこし、ぼんやりとしていたようにもおもえます。

花をいれおわり、棺がとざされるころ、ふと、うしろをふりかえりました。いとこのお兄ちゃんが、顔を左ななめしたにむけ、手で目をおおっている姿をみました。ぼくはそれをみて、「このひとは、ないている。」とわかりました。そして、わかった途端に、突然息がつまり、自分の目から涙がながれはじめ、一瞬のうちに、なきじゃくっていました。その後、火葬場まで、バスでいき、祖母が火葬され、ふたたび祖母の家までもどるあいだ、なきじゃくりつづけていました。

ぼくはこのとき、うしろをふりかえって、いとこの顔、姿をみた瞬間に、死というものをおそらくしったのだとおもうのです。実際に、棺に花をいれるという場面以前のぼくは生死について、よくわかっていなかったようにおもいます。葬式がはじまるまえの、まち時間にはいつもとおなじように、いとこや兄弟とファミコンをやって、ゲラゲラわらい、あそんでいました。前日のお通夜で、布団に安置された、死人になった祖母の顔を一度みていたにもかかわらず。

そして、また、このとき、未分化であった自分の精神と肉体が分化したのではないかと、そんな気もしているのです。なきじゃくる自分(肉体)を、冷静にながめる自分(精神)がいるような感覚がおこりました。火葬場にむかうバス内で、一心不乱に、あるいは狂乱したかのように、なきじゃくるぼくに、母がなぐさめのことばをかけてきました。しかし、どうも、このときぼくは、「母のいうことはわかる。ないていたってしかたがないのだ。しかし、同時に、こういうとき、人間はなくにちがいない。だいたい、なくつもりで、ないていない。からだが勝手にないているのだ。」というようなことを頭のなかでかんがえていたようにおもえます。からだは、ひきつるくらい、ないているのに、頭は非常に冷静だったようにおもうのです。いまとなっては、これこそが、自己の萌芽なのではないかと、あるいは、ユングのいう普遍的無意識があったのではないかと、すこしおもいます。

ぼくは、このときのことは、内的事実と外的事実とが、不純物なく、まったくただしく記憶にきざまれているとおもっています。しかし、あるいは、これは長じるにつれて、hideがうたったピンクスパイダーのようになっていく自分が、「ウソの糸をはりめぐらした、ちいさな世界」を強固なものにするために、でっちあげたウソなのでしょうか。自分のからだとこころが、社会にあわないということが、中学、高校と、すすむにつれ、どんどんつよくなっていきましたが、それが自分のわがままさ、よわさ、不誠実さなどに起因するということを隠蔽し、自分の閉鎖生を正当化するために、このようなウソをでっちあげたのでしょうか。

いずれにしても、この祖母の死に関する経験にもとづいた事実、あるいはフィクションについて、かたる場を、人間関係を、もたなかったのが、ぼくの最大の失敗、そして、不運だったということだけは、たしかだとおもうのです。