まえむきで、健康的なようにおもえる気分のときに、カミュなんかよんでみても、なんにもわからない気がするな。
やっぱり、「感じいりながら」行為するというのが、ぼくはベターな気がする。
たとえば、目のまえの「ひとの輪」にはいることに躊躇するから、社会のことや人間の集団のことをかんがえるわけで、そこにスルッと、はいりこめるような気分のときに、はたして、人間の集団のことをかんがえるだろうか?
いま、けっこうつかれている。虚弱体質なので、ヘトヘトだ。しかし、ヘトヘトだってことで、活動意欲を減退させたくないとかおもっていて、気分はまえむきだ。
こんな状態で、死のことなんか、かんがえられるか!
柄にもなく、「世のなか、やる気、元気でのりこえられる」とか、おもいこんでいるモードなのである。
そんなときに、死生の問題を「感じいり」ながら、かんがえられるか?
まあ、生の問題はかんがえられるかもしれない。