虚言癖や誇大妄想がおきる構造~意識と無意識のはざまとか~

昨日、ふつうに、電車は終着駅までいっていました。

昨日11時頃に、ぼくが乗車していた電車は、たしかに「ある駅」で10分ほど停車していました。そのときぼくは、「地下鉄なのに、なぜこんなにながく、ひとつの駅にとまるのだろう」とおもいながら、ことばをかいていました。

ぼくは昨日、この事実をすっとばして、「この電車は終着駅までいかずに、ひとつ手前の駅でおりかえしている」とおもってしまったのです。意識がもどると、記憶にのこっていました。

これはたぶん、時間を断片でしかとらえていなかったからだとおもいます。時間というものを一連のながれとして、意識のなかに位置づけることをしていなかったのだとおもいます。

あるいはつぎのようにいう方が正確かもしれません。

ひとつの体験を時間のながれのなかに位置づけず、物語のように、「場面はかわる」という断片として解釈していたのかもしれません。

なんにせよ、時間の感覚がありませんでした。

・A駅で、電車にのった。B→C→D→終着駅ひとつ手前

・「えらいながく停車しているな」とおもう(実はここが終着駅だった)

・…→D→C…「あれ?なんで逆走している」→B→「おりやなあかん!」

・「電車はミスって、終着駅までいかず、手前の駅でおりかかえしているんじゃないの?」

・駅員に、「終着駅までいかない電車って、この時間帯にありますか?」ときく。駅員はあきれて、「ありません」とこたえる。

・自分が気づかずに、のりすごしてしまったことをわかってはいるが、狐か狸に化かされた気になった。なんとなく不条理の感覚をおぼえた。のりかかった船なので、変人を演じてみて、駅員に、あきれられてみた。

泥酔すると、意識のちからがよわまって、無意識のちからがつよくなるような気がしています。無意識には、意識が位置づける時間の感覚とべつのものがあるような気がします。無意識の時間は、なんというか、一方向へのながれではない感じがします。

それで、こういうのをコントロールできないから、虚言癖とか、誇大妄想とか、そういうのがおこるのかもしれないとおもいました。

意識と無意識が統合されていなかったり、統合していく過程にはいっていない場合に、誇大妄想みたいな「ヤバい」ことをいいだすのではないかとおもいました。

ぼくの場合、お酒が「ジキルとハイドの薬」のような作用をもっています。が、うえのようなことを認識しているし(たぶん)、訓練をしているから(ほとんど我流だけど)、まあ大丈夫なのだとおもっていますが、端からみると、どうなのでしょう。

たぶん、狐や狸に化かされたような気がするとき、無意識的に、無意識になっているのではないでしょうか。

 

2019年4月13日 23時ころ

泥酔しているが、不可解だ。

ひとつ手前の駅で、電車は絶対におりかえしている。

終着駅まで、いっていない。

まちがいなく人為的なミスで、終着駅までいかず、手前で、おりかえしている。

しかし、このウソか、事実は、もはやだれもしるよしもない。

ぼくは、駅員にきいた。

「電車は終着駅までいかず、手前でおりかかえすダイヤもはじめましたか?」と。

駅員はいう。「そんなことは、ありません」と。そして、変なよっぱらいだと、さげすんだ目で、事務室へとひっこんだ。

そんなバカはあるか。
まちがいなく、ぼくがのっていた車両は、終着駅へは、いかず、ひとつ手前でおりかえしている。

しかし、もはや、だれもその真実をしるすべはない。

鉄道会社は、終着駅までいったと、最後まで、いいはるだろう。たとえそれが、ウソだとしても。