不気味な、この高度化された文明社会
文明が高度化していくほど、不条理がふかくなるのだと、そう理解している。なんか、ぼくの感じている不条理は、カミュのそれより、ストライクゾーンがひろい気がする。
意識と無意識を統合する訓練をしているなかで、最近、それが一段階すすんだと実感している。
意識と無意識の統合によって、原初の人間がもっていたアニミズム的な感覚が、わたしという人間にそなわりはじめたような気がしている。
ようは、生と死が身近になったのだ。文明によって、社会化されて、一度うしなった人間性をあらためて獲得したのだ。
この感覚をもちながら、文明が高度化した社会のなかにいると、不条理のこわさが、さらにひどくなったような気がする。
得体のしれなかった不条理に、なにか輪郭があたえられたような感じがある。
"人間らしく"道をあるいていたら、突然、ダンプカーがよこぎってきて、はねられて、死ぬんじゃないか?
自転車にのっていて、アッと気がついたら、ひとをはねて、刑務所にいれられるんじゃないか?
39度の発熱がありながら、明日は納期だからという理由で、徹夜で労働につかなくてはいけないんじゃないか?
病気になって死ぬのはよい。べつにいまそうなったとしても、それが寿命なのだろう。
なにかのはずみで、自殺してしまうのも、まあなんとなくわかる。近代人の不条理とは、そういうものだ。
けれど、突然、車にはねられたり、過労死したりするのは、まったくわけがわからない。文明にころされるという感じだろうか?
なんだかよくわからないけれど、無意識の感覚がとぎすまされたような気がしているからか、死や生がちかくにある感じがしているので、あっさりと文明(社会という方がわかりやすいかな?)に、ころされそうなこわさがある。
魔がさす間もなく、文明によって、アッという間に死ぬというのが、ある気がするけれど、これはたいへん不気味だ。反対に、文明によって、生かされているというのも不気味だ。
よくわからないが、おちついてきたので、もう一度、ねることにチャレンジしてみよう。