佐々木俊尚さんのツイート「世界認識が重要」ということについて

今日、佐々木俊尚さんが、Twitterで、こんな発言をしていた。

いつもみたいに、直情的にならず、一歩ひいて、俯瞰的に自分のことをみてみる。

ぼくはいま、世界認識というところで、悪戦苦闘している。

ぼくは、世界認識があまい。世界認識があるにはあるが、半分しかない片端の世界認識だとおもう。

世界認識というのは、たぶん二分すると「内的世界認識」と「外的世界認識」にわけられる。いうまでもないが、ぼくは「内的世界認識」ばかり、たくましくなっていて、「外的世界認識」が未熟だ。

ぼくの内的世界認識は、カミュカフカ的なものや、司馬遼太郎梅棹忠夫河合隼雄などの世界認識をある程度、自分のものとしており、割合ゆたかに、世界を認識している。

しかし、外的世界認識はというと、これはほんとうに未熟だ。世界を外的に認識する術をほとんど身につけていない。いま、まさに発展途上なのだもおもうけれど、先はながい。

内的にも、外的にも、世界を認識するには、たぶん「行為」が必要なのだとおもっている。ぼくの場合、内的な行為は、質的にも、量的にも、十分おこなってきている。しかし、外的な行為は、質量ともに、まだまだたりない。ただ外的な行為は、この数年で、急激にふえてきている。

この間のいらだちや破壊衝動などは、内的世界認識と外的なそれとのあいだにあった溝がうまってきて、ひとつに統合されはじめているが、しかし、まだまだギャップはおおきいというようなところから、おきているような気がする。

なんにせよ、めげずに、そして、失敗をおそれずに、もっと行為しなくてはいけない。

たぶん、いまは、解体して、再構築する過程にあるはずだ。