安心は、根拠のない信頼をうむ~おいしい食事の基準から~

食事は、やっぱり「安心」できるかどうかが、おいしさの第一条件だ。

つとめている大学の食堂は、個人的にちょっと安心できない。お箸をちゃんとあらっているのか?とか、からあげはちゃんと火がとおっているのか?とか。

こんな不信の原因については、具体的にはいわないけれど、たとえば、ご飯の釜が結露で汗をかいていて、べちゃべちゃのご飯であることも、不信の原因のひとつだ。

まあ、気にしすぎだとか、神経質かといわれれば、それまでだろう。しかし、うえのような不信があるから、ぼくは大学の食堂の食事をおいしいとはおもわない。

ところで、今年度から、大学の校内で、お弁当を販売する業者さんがでてきた。実はそれは、なじみの居酒屋さんがやっている。居酒屋さんは、お昼にもお商売をしたいということで、大学に話をもちかけて、成立したのだ。

これがおいしい。

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たべさしで、きたないけれど。ヤンニョンジャンで、あえたからあげ。

なじみのお店なので、商品への安心がある。変なものははいっていないだろうという安心感だ。この根拠のない信頼があるから、市販されているものであろう、つけものでさえも、おいしく感じた。