自分で自分にウソをついている感じ

「君は、結局、このまま、なんにも、かわれへんかもしれへんな」というようなことを、いわれたことが多少ひっかかる。

いきつけの居酒屋のマスターに、いつも夢をかたっているわけだけど、最近は、ややふみこんで、具体的なことをかたっている。

大学院にいこうかとかんがえている。とにかく、ちゃんと勉強したい。やるなら、人類学をやりたい。人間のことをしりたい。とにかく、表現したい。文章をかきたい。はたらきながら、それをできるか、職場にいってみる。…

焼酎の水割りを片手に、これらのことをかたったとき、マスターの口から、冒頭のことばがでてきた。

なぜか、ハッとして、よいがさめた。

その場その場で、自分の内面のうずきをことばによって、表現できていることに、満足したり、納得したりしている感じが、ぼくにはある。正直なところ、これこそが、第一に、自分がもとめることのような気がしている。だから、「文章をかきたい」ということも、「人類学をやりたい」ということも、実はそんなに真剣なことではないような気もするのだ。そういうようなことをいったこと、それ自体に満足しているふしがあるのだ。

自分を信用できないということの核心にちかづいている気がする。とてもおおきなウソを自分に対して、ついているような気がしてならないのだ。

「あれをするよ、これをするよ」といいふらし、実際にあれをしたり、これをしたりしているけれど、いったいそれが何になるのだろうか。

…。