自分の心の声から、距離をとるために、自分に嘘をつきつづけているような人生

ぼくは、高校生のときに、司馬遼太郎に傾倒した。『竜馬がゆく』の坂本竜馬のように、30歳までには、志をみつけ、なにごとかをなしたいと夢みるようになった。司馬遼太郎との出会いが、進学校の「受験受験」という狭隘な世界観に、息ぐるしさを感じ、閉塞感をおぼえていたぼくに、光をあたえた。

しかし、いまだ、なにごともみつけることができずにいる。ぼくは今年29歳になる。夢と現実は、ほとんどの場合、断絶しているが、なかなかそれに気づくことができない。いきることに希望をあたえた夢は、いつしか、現実の過酷さから逃避するための荒唐無稽な妄想となる。そして、そのさきには、hideがピンクスパイダーと名づけたような、自分の妄想の尺度でしか世界をとらえることができないような人間になってしまうことがまっているのだ。あるいは、当時のぼくは、「夢みることを夢みていた」だけなのかもしれない。

いまは、「夢みること」から、とおざかり、サラリーマンとして、毎日、学校事務の仕事をこなしている。毎日残業つづきで、ヘトヘトだけれど、生活できるだけのお給料をもらい、週末には友だちとお酒をのみながら、くだらないことをはなすことができている日常には、それなりに満足している。青春している学生たちとのかかわりあいも、けっこうたのしくて、充実しているというには十分すぎるほどだとおもう。

しかし、何かものたりない。

ぼくには、16歳のときに、かかげた夢が、やっぱりあるのだ。あのころは、「夢みることを夢みていた」だけかもしれないけれど、いや、いまでも、その夢は他者にしめすことができるようなハッキリとした形をもたないけれど、それでも、やっぱり、ぼくには夢がある。ぼくは、いま人類学をまなびたい。夢の道中に、人類学をまなぶことがあるとつよくおもう。

こんな感じで、すこしずつだけれど、ようやく夢を具体的にできつつあるのは、ぼくとしては上出来なのだけど、しかし、最後のところで、決断することができずにいる。

ぼくはいま、結婚もしていなければ、愛するパートナーもいない。まもるべきものはなにもなく、何にでもなれるはずなのに、こころのなかでは、何か複雑な問題をかかえているような迷いがある。

ぼくはいったい何にまよっているのだろうか。

人類学をまなべる大学院への受験のために、いざ研究計画書をかこうとすると、はたと筆がとまる。ことばをうしなう。友だちや信頼しているひとに、人類学を志す動機をはなすときは、湯水のようにアイディアがでてくるのに、何かを意識した途端に、体がこわばり、すべてがとまる。

ぼくは自分のこと(気もちだったり、かんがえだったり)を表現することが、とても苦手だ。ひとを目のまえにして表現しようとすると、頭のなかから、ことばがきえて、目のまえが、真っ白になる。その悪癖が、決断することをはばんでいるような気もする。

また、敬愛する人類学の大家である梅棹忠夫先生は、「人類学は、おとなの学問や」といっていたことが、頭からはなれない。これまでの自分の人生で、愛するひとに、「愛しています」と、つたえられずにいることに、「ぼくは、本当には、ひとを愛していないんだ。本当に、相手を愛していたら、セックスとか、したくならないし。真実の愛って、なんだろう。」などと、多少ニヒルに気取りながら、その実、本心をはぐらかして、逃避することしかできなかった"精神的な未熟さ"をおもうと、人類学をやっていけるのか不安だ。

そんな迷うことがおおく、意気地なしのぼくではあるが、信頼しているひとには、このような率直なところを、声にだして、かたっている。信頼しているひととは、いきつけの居酒屋のマスターだ。つい先日、そのマスターから、「その夢は、ええ夢や。人生のなかで、迷いながらでも、30歳という、ひとつの節目に、そういう変化をつけようとしているのは、ええことや。」とはげまされたあと、「しかし、キミは結局、このままなんにも、かわれへんかもしれへんな。」と、いわれたことが、多少ひっかかる。

このことばをいわれたあと、ぼくは次のような日記をのこしている。一部を引用する。

「大学院にいこうかとかんがえている。とにかく、ちゃんと勉強したい。やるなら、人類学をやりたい。人間のことをしりたい。とにかく、表現したい。文章をかきたい。はたらきながら、それをできるか、職場にいってみる。…」

焼酎の水割りを片手に、これらのことをかたったとき、マスターの口から、「キミは、結局、このまま、なんにも、かわれへんかもしれへんな」ということばがでてきた。

なぜか、ハッとして、よいがさめた。

その場その場で、自分の内面のうずきをことばによって、表現できていることに、満足したり、納得したりしている感じが、ぼくにはある。正直なところ、これこそが、第一に、自分がもとめることのような気がしている。だから、「文章をかきたい」ということも、「人類学をやりたい」ということも、実はそんなに真剣なことではないような気もするのだ。そういうようなことをいったこと、それ自体に満足しているふしがあるのだ。

自分を信用できないということの核心にちかづいている気がする。とてもおおきなウソを自分に対して、ついているような気がしてならないのだ。

「あれをするよ、これをするよ」といいふらし、実際にあれをしたり、これをしたりしているけれど、いったいそれが何になるのだろうか。

…。

迷いながらも、たちどまらずに、どれだけ行動し、どれだけことばにしても、それを選択することを決断できない。最後のところで、自分のことを信用できなくて、それを選択してもよいものか、うたがって、たちどまってしまう。

しかし、ぼくはもうじき決断できると確信している。なぜなら、こうして、ブログなどに、自分の率直な気もちを気取らずに、かざらずに、背伸びせずに、表現するようになったからだ。すでに、ぼくは「夢みることを夢みている」人間ではなく、「夢みながら、夢をえがいていく」人間なのだ。

そもそも、このまとまりのないブログ記事をかこうとおもったことも、ひとつの決断だ。

 

…ここまで、ことばをならべて、なお、自分の本心をはぐらかしているような気がするのだから、迷いの種である「自分への不信感」は、本当につよいみたいだ。

 

そもそも、本当に、ぼくは人類学そのものをやりたいのか?

ただ、ひとつ、たしかなことだといえるのは、ぼくは人間のことをもっとしりたくて、もっと自分のことを理解したいということだ。

そして、それをことばで表現したい。もっと上手に、ことばで表現できるようになりたい。

 

一昨日の夜中に、こんな日記をのこしている。

暗闇のなかで、ひとりでとじこもっていた時間がながすぎた。うしなった時間の価値は、とてもおおきかったのだと、いまになってわかってきた。もちろん、暗闇のなかで、えたものもあるので、10年とはいわないが、5年くらいはまきもどしたい。後悔はないが、つぎの5年10年をみたとき、これまでのように、ためらって、足ぶみする時間はもういらない。角田光代の『対岸の彼女』をよんで、そんな気になった。うまれた年がちかいからなのか、なんなのかわからないが、角田光代からは、うっすらとhideを感じる。それじゃ、おやすみ!

 

こたえは、ここにかくのではなく、行動でしめさなくっちゃいけないということにしておこう。ここに、決断というこたえをことばにしてしまったら、結局すべてが、フェイクになってしまう気が…。

 

このブログ記事をかいたことが、自分のなかで、おおきな変化をむかえるきっかけだったのだと、あとからおもいかえせるようになれば、とてもうれしい。