個性的な歌声とコンプレックス

ラウンジで、女性とお酒をのみながら、カラオケで、歌をうたった。うたったのは、コブクロの『桜』だ。

カラオケというものは、ひとりでやるものだとおもっているので、シブシブうたったが、うたうとあれば、それなりにしっかりうたわなければならない。なぜなら、場がしらけるのは、いやだからだ。

「名もない花には~♪」とうたいはじめると、カウンターにいた、ほかの女性スタッフが、「しぶっていたわりに、うまいやん!ていうか、声がサングラスをかけている方に、ちょっとにてない??」と、つっこんできた。サングラスをかけている方とは、むろん黒田俊介のことだ。

ほめられて、うれしくないはずがない。しかし、ほめられると、多少はずかしい。だから、抑揚なんかは極力つけず、また、できるだけ喉でうたって、声を無理にひずませた。おかげで、翌日、喉がすこしいたかった。

ところで、「黒田俊介の声に、にている」といわれたことだけど、そういってもらえることは、素直にうれしい。ただ、もっと率直にいうと、「そりゃ、元々の声がにているんやから、あたりまえやん」と、内心おもっているのと、「布袋寅泰みたいやね」といわれなかったことに、すこしホッとしている。あわてて、ことわっておくけど、ぼくは布袋寅泰の声がすきだ。ただ、布袋の声は、多少個性的すぎるところもあり、すこし残念な感じもあるのも、たしかだ。これについては、いまから、すこしいう。

ぼくの歌声がコブクロ黒田俊介に、にているのは、これはある共通点があるためだ。その共通点とは、身長だ。コブクロ黒田俊介は身長が192cmくらいあるけど、ぼくも身長185cmあって、そこそこデカイのだ。布袋寅泰も189cmだったか、デカイ。ようは、ぼくは、「背がおおきい人間の声」をしているだけなのだ。人間は、個人個人で個性的な存在ではあるけど、しかし、やっぱりおなじ種であるので、どこかで、すごくにかよっているのだ。

というわけで、うたいやすい声で、コブクロをのびのびとうたうと、黒田ボイスにきこえる瞬間が、けっこうおおい。もちろん、布袋寅泰の歌をうたうと、布袋ボイスになる。

たぶん、背がおおきいひとの声は、多少こもるのだとおもう。このこもった声が、苦手なひとが、すくなからずいるのをしっている。そもそも、ぼく自身が、このこもった声が、あまりすきではなかったのだ。たぶん、自分の声にかかわることに、なにかコンプレックスがあったんだとおもう。だから、コブクロ布袋寅泰の歌をすきになって、よくきいていたのだとおもう。

でも、いまは自分の声が、すきというか、うけいれることができている。コンプレックスが解消されはじめているのだとおもう。だから、たぶん、ぼくはけっこう個性的な声で、歌をうたっているとおもうのだ。めったとないけど、ひとまえで歌をうたったとき、「ええ声やん」といわれることが、おおいということが、その証だろうとおもっている。