最近、BOØWYが、さわがしい。(以下、変換がわずらわしいので、BOOWYと表記する)
From June 11th (Tue.) to June 17th (Mon.),
— YUNIKA VISION (@YUNIKAVISION_St) 2019年6月10日
60 second commercials of BOØWY "LAST GIGS -THE ORIGINAL-"(6/12 on sale), that on-air at 47 minutes past every hour from 7am to 1am! pic.twitter.com/PJVA8HEwRV
どうやら、LAST GIGSの完全版がでるらしい。
LAST GIGS -THE ORIGINAL-(完全限定盤スペシャルボックス)(4CD+トートバッグ他封入)
- アーティスト: BOΦWY
- 出版社/メーカー: Universal Music =music=
- 発売日: 2019/06/12
- メディア: CD
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BOOWYはいつだって、青春だ。
ぼくは28歳なので、BOOWY世代ではないが、それでも青春はBOOWYとともにあった。
なぜBOOWYが青春なのかというと、たぶん彼ら四人が、青春をかけぬけたバンドだったからだ。
布袋寅泰が最近のインタビューで、過去の自分たちを再解釈していた。
「チャートで1位になったんですよ。あっ、来たな。燃え尽きる時が近づいてきたなっていうのが、4人の中にあったと思いますね」
「東京ドームまで、短いですけど青春を駆け抜けた。」
バンド解散後、うれたのは氷室京介と布袋寅泰なので、ふたりのことしか、ぼくはよくしらない。高橋まことは、コブクロの小渕健太郎がジストニアから復帰したとき、ライブに花をおくっていたのをみて、情にあつい、かっこいい男だということをしったくらいだ。
話がそれた。
布袋寅泰はBOOWYを再結成したがっている。世間では、節操がないとか、なんだとか、そういう声もあるが、余計なお世話だろう。
布袋寅泰は、きっと、あのとき自分たちの意志で時間をとめた、青春という過去を、現在という未来のなかで、ふたたびうごかしてみたいのだ。
一方で、氷室京介は、かたくななほどに、再結成をしようとしない。ひとりで全曲BOOWYをうたうくらいなら、再結成してくれよ、という世間の声もあるが、これもまた、余計なお世話だろう。
氷室京介は、きっと、あのとき自分たちの意志で「時間をとめる」と決断した青春の傷を、現在という未来においても尊重したいのだ。
氷室京介と布袋寅泰は、青春という時間のとらえかたが対照的だ。
布袋寅泰は新作『GUITARHYTHM Ⅵ』で、氷室京介をのぞくBOOWYのメンバー(高橋まこと、松井常松)と音をならした。
布袋寅泰は、青春を未来に位置づけて、いまをいきている。
氷室京介は、ライブでは、かならず「ANGEL」をうたう。そして、この曲は、ソロになって一発目にリリースした曲であり、もっともたいせつにしているものだと、ことばをそえる。
氷室京介は、青春を過去に位置づけて、いまをいきている。
(けされてしまったけれど、レコ大のときの氷室京介)
氷室京介と布袋寅泰は、このように、すごく対照的な人間なのだが、だからこそ、このふたりがともに音をならしていた、BOOWYという時のながれは偉大なのだとおもう。ふたりが、であったことは、奇跡であり、象徴的なことだとおもうので、ふたたび、その時がうごきだすことは、それこそ奇跡をまつしかないのかもしれない。
参考までに。