自分の心身のことを表現することで、心身を理解する感覚がとぎすまされる

調子のよかったすこしまえの心身の状態と比較すると、いま、けっこうしんどい。

そういうことは、よくありえることなので、しんどいことには、あまりこまっていない。

こまっているのは、「なんで、ちょっとまえは、調子がよかったのに、いま、からまわりしているんや?理由はなんだ?原因はなんだ?」と、無意味で、あてもないことをかんがえて、堂々めぐりしてしまっていることだ。

もとにもどってしまっている。この思考は、ダメだ。調子がよくなる以前のときの形だ。治癒のために、Facebookに、ああだこうだと、かきはじめる、もっと以前のときの状態だ。

しかし、もとにもどってしまってはいるが、質的には、おなじものではない。すぐに、こうして気づくことができていることが、以前とはまったくちがう。この点で、まちがいなく成長している。

いまは調子がわるいので、ひとをたよりながら、暴発させないように、うまくつきあっていく方法をさぐつているときなのだ。あせってはいけない。

こうやって、気のむくままに、ことばにしていることによって、まちがいなく心身の状態をつかむ能力はレベルアップしていると実感している。危険地帯の二歩手前くらいで、気づくことができている感じがしている。もうすこし精度をたかめたい。そのさきに、社会性を身につけるということもある気がしている。