一度たちどまって、0からやりなおそう。

やっぱりどうかんがえても、限界なので、我流でやるのをやめる。ひとりで、かんがえこまずに、たよることができるひと、協力してくれるひとに、たよって、やっていく。

とりあえず、ゆるくエスノグラフィーをまなべるところをさがす。自分のことをかくという技術のレベルアップをしたい。

それと、たぶん、今年か、今年度中に、いまの仕事をやめる。やめてから、支援団体か何かに、相談にいって、0からまともな社会参加の訓練をつむ。まあ、いまの仕事をやめずにできることは、やろうとおもうけど。

どうかんがえても、このままやっていても、ながつづきしない。修理しながら、すすんでいるけど、もう一度たちどまらないと、エンジンがやられる気がする。

前回の一時停止は、どうしようもなく、たちどまったけど、今回は自分の意志でたちどまるつもりなので、全然ちがう。

3年、4年やってみたけど、どうかんばっても、ふつうの社会には、なじむことができない。3年かじりついたので、あっていないことをこれ以上つづけても、無駄だろう。やっぱり、こういうかたちで社会に参加するのは、自分にはあっていなかったのだ。あきらめよう。

ポンコツなりに、やっていけることをやるしかない。最近は神経症ということばは、つかわないみたいだけど、こんな爆弾をかかえているのに、刺激のおおいところに身をおいていたら、かなわへん。

これでも、そこそこがんばったと自分としても納得しているので、社会のことをすこしは、しることができたとおもっている。できたこと、できなかったこと、しったこと、わかったこと、おもったとおりだったこと、おもいちがいだったこと、など、全部一度整理して、0からやりなおそう。職業訓練とか、就労訓練とか、そういうものを0からやった方が身のためだとおもう。

職場には、はやくつたえよう。双方にとって、その方がよいとおもうし。部門のお偉い人に、「相談があるので、ちかいうちに、すこし時間をください」とつたえてえるので、そのとき、全部いってしまう。

よく、このポンコツを3年もやとってくれたと、ほんとうに感謝している。しかし、どこもそうだろうけど、この職場も人材難なので、次第に期待もおおきくなってきた。ごまかしながら、その期待に、あわせにいっているが、どこかで破綻してしまう未来がまっているので、これも双方にとって、都合がわるいだろう。