そもそも不安定な人間なのだから、安定しようと努力するの、やめた、あきらめた。

もう安定しようとするの、やめた。

よくよくかんがえたら、安定していたことなんて、ものごころがついたときから、ないやん。

だいだい、いつも、こころのなかに、ことばを封じこめて、モヤモヤ、ムカムカしながら、だまりこんで、だましだまし、すごしてきたではないか。なにかを、うまく整理しながら、ピシャッと、できたことなんかあったか?まったくといっていいほど、なかったではないか。

はじめから、不安定なのが、基本なのだから、もうそれでいい。

そもそも「安定していたころ」なんていう妄想を現実のことだとおもっているのが、おかしな話だ。「じゃあ、キミの安定していたころって、どんなんやの?」ってきかれても、「…」、こたえられない。

「安定していたころのように、もとの自分に、もどろう」とか、おもうのは、もうやめだ。どこで、ボタンをかけちがえたのか、不安定なのが、もとの自分やん。

おちこむ→しばらく、ひきずる→気分転換がうまくいく→元気になる→おちこむ→ひきずる→…のくりかえし。これが基本なのだ。

だいたい、いっていることも、かんがえていることも、コロコロかわって、二枚舌なところもあるし、全然一貫性のない、不安定な人間なのだ。

そうや、嫌なことがあっても、夜になって、島田紳助の漫談なんかをみたら、あっさりと嫌なことをわすれて、ケラケラとわらえるくらい、一貫性のない不安定な人間やったやん、むかしから。

いまだって、なやんでいて、いきるのがマジできつかったりして、精神的に危険な感じがある一方で、そういう自分の内的世界をアレコレと観察して、たのしんでいるところもあるし。

安定した、まっとうな人間になろうとするの、あきらめた。