相手にあたえる印象と自分の本心とのギャップ

「ひとの群れにまぎれて、すごす」ということを訓練してきたことが、かえって、あだとなっているかもしれない。

「あいさつはきちんとする」とか、「会話のときは適度に相づちをうつ」とか、そういうことを訓練してきたので、身にしみついている。また、他者とまともに会話をできるようになりたいとおもい、ディベートだったり、いろいろと訓練もしてきた。

ひとのなかにいても、できるだけ挙動不審みたいにならないように、そして、Peopleになれるようにと、おもって、以上のことをやっていた。

努力したおかげで、いろいろと、そつなくできるようになってしまったので、初対面のときなど、「ひとあたりがいい。ちゃんとしている。」という印象をあたえることができるようになった。

しかし、あいかわらず、こころのなかでは、人間への恐怖や社会不適合など、そういう不安や問題にしばられている。

訓練して身につけた技術によって、他者にあたえる印象や評価が、内的な実体とは、かけはなれたことになっている。これは多少、問題があると感じている。これでは、本当にてきないことをできないといえない。

ぼくの問題をまわりの人間(社会的)に、認識してもらうためには、あるいは、常日ごろから、ムスッとしていたり、ろくに返事もしないような人間になる方がよいのだろうか?いや、バカなことをおもいついた。そんなわけがあるか。

なんにせよ、これでは、他者から、ただしく理解されないような気がする。

しかしながら、こうやって、モヤモヤしていたことをことばにしてしまえば、どうでもよいことのように、おもえてきた。いったい何に違和感をおぼえて、なやんでいたのだろう。つまらないことは、とりあわないでおこう。