箱庭療法の現場

今日は、はじめて、箱庭療法の現場をみた。

箱庭療法をおこなう部屋では、4面ある壁のうちの2面に、オモチャや人形などが、ぎっしりとならべられた棚があった。部屋の奥には、枯山水のように、砂がしきつめられた箱があった。たぶん、あれが箱庭だ。そして、部屋自体は、せまい空間だったが、こころに奥ゆきを感じさせるような空気があった。

業務の関係で、その部屋のなかにはいったのだが、一度、みてみたかった世界なので、ちょっと興奮した。その空間にいるだけで、たのしい気になった。あとは、ちょっとだけ、かなしくなった。いまのよごれたこころと、自分の童心とを対比するようで、すこし抵抗感があったのだとおもう。

業務をそっちのけるつもりはなかったが、学生の対応を相談しているうちに、片足くらい、ぼくのなやみ相談につっこみそうになっていた。そういう間合いをもっているのが、臨床心理士なのだろうか。

「あの学生と、どういう関係性を構築していけばよいのか…」という話から、はじまったのに、なぜか、ぼくが日ごろかんがえていることとか、ぼく自身の人間関係についての、もっと基本的なところに、話はおよびそうになった。いや、なぜかではない。自分から、そっちの方へ話をもっていきたくなっていたとおもう。

だから、業務の話がおわったあと、雑談のながれで、「箱庭療法を一回やってみたいって、むかしからおもっていたりするんです」と、いったのだ。

箱庭療法というのは、3回やったら、そのひとの表層的なものはでつくすみたいで、4回目くらいから、本質がでてきて、どんな人間かみえてくるらいし。おもしろいことをきいた。ぜひとも、やってみたい。