ちっぽけな自分。

なんか、ちっぽけだな、自分って。

本当に、命とむきあって、いきているひとがいる。そのひとたちの、つむぐことばに、ふれて、自分のなやみのちっぽけさに、多少嫌気がさした。

(なんやねん、お給料とか、ブログのアクセス数とかで、一喜一憂してよ)

何をしていたって、ぼくは明日、死ぬことは基本的には、ないのだ。にもかかわらず、明日、いきていくことに、おびえていて、あいかわらず、おおきな一歩をふみだせずにいる。そして、それが、自分の人生のおわりのように、なぜか深刻な問題だとおもってしまっている。

ぼくもたしかに、からだは、よわい方だ。特に、耳鼻のあたりは、うまれたときから、よわい。

2016年には、慢性の副鼻腔炎で、けっこうおおきな手術をした。そして、いま、副鼻腔炎が再発している。

だけど、それは、生死にかかわる問題ではいまのところないのだ。

そんなかるい病気で、なんか、しったような気になっているしさ。

最近、こころが、しずんだり、うかんだりが、はげしいな。。。

ほんとに、なんか、勇気をもらった。はげましのことばをつたえたつもりの自分が、本当は、はげまされているんだな。
sorahappy.hatenablog.com
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こわいのは、当事者本人なのだ。
たたかっているのは、当事者本人なのだ。
勇気をふりしぼっているのは、当事者本人なのだ。

ぼくたちは、当事者本人から、ちからをわけあたえてもらっているのだ。

いきるちからって、こういうことをいうのかなあ。。。