不安になるこころとのつきあい方~頭のなかの双子との対話など~

「たちどまらずに、あるきながら、かんがえて、きめよう」とおもうから、がんばって、はたらきながら、やりたいことをやっている。

だけど、それをがんばるほどに、「はたらきながら」ということと「やりたいこと」が、ますますはなれていくようで、自由でなくなるところが、おおくなってきたように感じていて、その点で、ちょっと負担がふえてきている。

「やりたいこと」を職場のしかるべきひとに、つたえたものだから、当然、もっとしっかりやっていかねばならないということになるし、あわよくば、それをいまの職場の仕事にもつなげたいともおもう。一方で、「はたらきながら」についても、もとめられるものが、すこしずつおおきくなってきているので、いままで以上に、しっかりやらなければならなくなってきた。

はたらかなければ、ならなくて、やりたいことができなくなって、いらだったり、逆に、やりたいことに注力しすぎて、はたらくことに集中できなくなったり。どっちも両立させようと、がんばりすぎて、からだをこわしたり。

こういう状況であることに、ぼくの精神状態は、ゆれ幅がおおきくなってきている。「頭の中の双子」のうちのひとり、あるいは、「頭蓋の中、飛び回る、僕に似てる二匹のムシ」のうちの一匹は、「しんどい。やめたい。このままじゃ、ぼくは無理だ、ダメになる。にげだしたい。」と、不安がっている。

だけど、あまりおそれることはないのかもしれない。

最近、気づいたのだけど、不安を感じているのは、二匹のうちの一匹だけなのだ。もう一匹は、「何度失敗したって、何度でもやりなおすことはできるんだ。」と、まるでhideが憑依したかのように、とにかくポジティブだ。

ぼくの頭のなかには、二匹の虫がいる。一匹は鬱的な性質をもっていて、もう一匹は躁的な性質もっているけど、それぞれは、明確にわかれて、存在しているようだ。いうまでもないとおもっているけど、自分が双極性障害だといいたいわけではないし、そのようには、まったくおもっていない。だれにだって、気分のうきしずみは、あるだろう。

つまり、ぼくという人間の精神は、こういう形なのだ。それだけのことなのだ。

そして、実は、その二匹の虫をながめている「ぼく自身(自己)」は、なにもなくて、ほんとうに、しずかで、おだやかなのだ。

だから、もう、あまり不安がったり、不安をうちけすために空元気をだしたりする必要はないのかもしれない。ゆれる必要は、なんにもないのだ。今後は、ちょっと、こういうことを注意してみよう。

だけど、hideがうたうように、この二匹の虫に、「ほんとは、僕、飼われているのか?」とも、ややおもうような。。。

※hideの「DOUBT」と「BREEDING」から、歌詞を一部引用している。

DOUBTの歌詞 | hide | ORICON NEWS

BREEDINGの歌詞 | hide | ORICON NEWS