多層的な自己

「教育者は、フィールドワークをしなければ、いけない!」と、なんかすごく意気揚々としていて、弱者の立場をしるために、仕事をやめて、職業訓練からはじめて、いちから、社会性を身につけることをしたいと、夢に夢みて、意気ごんでいる自分がいる。

しかし、自分は、それだけではない。

「とにかく、ひとりだちして、たべていきたいので、いまの職場にしがみつくべきだ。夢みるのは、いい加減にしろ。いつまでも、夢に夢みるポエマーであってはいけない。たとえ、虚無的になったとしても、いきていくためにはしかたがない。」と、非常に現実的な自分がいる。

やっかいなことに、さらに、もうひとりの自分がいる。

上のどちらの自分に対しても、「なにをいうてんねん」と、冷静で、さめていている自分がいる。「おまえらが、いうてるのは、どっちもまちがっているし、どっちもただしい。」と、おもっている。ただ、この自分は、冷静に評価するだけで、自分の意志をしめすことはない。

いま、自分のなかの、この三匹のちからが拮抗している。拮抗しているというのが、これまでにない状況で、未体験ゾーンだ。

この三匹が統合してくれたら、すごくいいのになあと、おもっている。

しかし、ああ、また、わからなくなってきた。このおもっているとか、かいている自分は四匹目じゃないか。