アウトサイダー3(異端がうまれるのは、なぜなのか)

「人生をゆきあたりばったりに受け入れる代りに、いかに生きるべきかに関心を抱く人間は、それだけで、おのずから、『アウトサイダー』なのだ。」(コリン・ウィルソンアウトサイダー』p108)

アウトサイダー (集英社文庫)

アウトサイダー (集英社文庫)

アウトサイダーというのを異端とよみかえると、自分なりに、しっくりくる。

ぼくの両親は、人生には目的があると信じているような人間だ。たとえば、家庭をもち、家族をやしなうことも、人生をよりよくいきるためだとか、たぶん、何か目的をもっていきている。いきあたりばったりには、いきていないし、さほどには、「いかに生きるべきか」ということには関心をもっていない。

その家庭でそだったのに、ぼくは冒頭に引用したような、両親とはまったく真逆の思想をもっている。人生には目的はないとおもっているが、いかに生きるべきかということばかり、固執してかんがえている。

謎だ。なぜ、こんなズレが生じたのだろう。昔から、両親から理解されていると、あまり納得できなかったのは、このためなのかもしれない。また、昔から、根拠のない自信をもてなかったり、つねに多少の不安をかかえているのも、このためなのかもしれない。

おなじ環境でそだった弟や妹とも、ズレているし、謎だ。なんで、こうなったのだろう。

まあ、どっちでもええんやけど。