ロックミュージシャンhideと民族学者梅棹忠夫という、アジテーター(煽動家)について。氷室京介、司馬遼太郎との比較から。
hideによって、本当に、蒙をひらかれたと実感している。
すこしずつだが、洋楽をきいてみようとおもいはじめて、いまちょっと洋楽をききはじめている。そして、ききながら、いろいろしらべている。Ministryというバンドとか、The Prodigyというバンドとか、めっちゃかっこいい。アルバムをかってみるつもりだ。
The Prodigy - Firestarter (Official Video)
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ぼくが比較的すきな音楽は、どうやら、ミクスチャーとか、インダストリアルとか、そういう系統に分類されるロック音楽みたいだ。もちろんhideは、その系統にある。かれは自分の音楽のことを「サイボーグロック」と名づけていたが。
この系統の音楽は、実は氷室京介もけっこう影響をうけている。氷室京介のロックは、ジャパニーズロックの王道だとおもうが、随所に、この系統の音楽をちりばめていたりする。氷室京介の『ONE LIFE』という曲は、リンキンパークというバンドのメンバーが、どういう形かは、わからないが、ちょっと協力している。そのことを2014年のツアーの大阪公演のMCで、いっていた。この曲は、なんというか、縦ノリしやすいのだが、なんか、横ノリもしたくなるような感じの曲なのだ。
面倒くさいので、まとまりなく、おもったことをかきつづっている。
話を冒頭にもどす。
hideは、まちがいなくアジテーターだ。これは、hideにちかしかったひとのインタビューなどでも、ふれられている。LUNA SEAのJというひとか、SUGIZOというひとが、たしかいっていたとおもう。
アジテーターという人間のおもしろさは、直接的に、他者にはたらきかけなくても、しっかり影響をあたえるというところだとおもう。アジテーターは、不特定多数か、あるいは、特定の個人に対して、情報を発信しているが、その情報の受け手は、勝手に自分へのメッセージだとうけとって、おおいに発奮して、何か行動しはじめる。
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ところで、ぼくにとってのアジテーターは、もうひとりいる。それは梅棹忠夫さんだ。『文明の生態史観』と『情報の文明学』がきっかけで、生き方がかわった。とにかく行動的になった。梅棹忠夫さんの本に、アジテーションされたことで、自分の足であるいて、いろんな場所にいって、真実をたしかめにいくようになり、その行動をつみかさねていくうちに、ロンドクレアントというステキな場に、出会うこともできたし。
ぼくは、昔から、内向的なところがあって、創作物の作者に、こころのささえとして、すがる気もちで、依存するところがあった。氷室京介とか、司馬遼太郎とかは、そんな感じだ。「そんなに、よい歌をうたったり、小説をかくのなら、このぼくの生きづらさがなくなるように、もっと社会に、はたらきかけてくれよ!しょせんは、虚構で、詭弁やんけ!」と、ふさぎこんだときなどは、そんなふうにおもってしまうこともあったり。
しかし、hideと梅棹忠夫さんは、ちがう。このふたりとの距離感は、依存とはちがって、なんというか、「キミのすきなように、やってみなさい。」と、彼らが背中をそっと、ささえてくれているような感じがする。ぼくは、それをうけて、「ぼくなりの形で、ふたりの思想を解釈して、社会にはたらきかけてみます。がんばりますので、ぜひ、このまま応援していてください。」とこたえられるような安心を感じている。こんな感じで、意気ごんだら、ふたりからは、「失敗して、挫折したって、何度でも、やりなおせるから、おそれずに、やってみなさい。」と、やっぱりかえってくる。
良し悪しの話ではなく、ぼくの影響のうけかたとしては、こんな感じなのだ。なぜ、こう二分されているのか、よくわからないが、あるいは、彼らにふれた年齢とか、時期のちがいかもしれない。
司馬遼太郎→氷室京介→梅棹忠夫→hideという順で、であっていて、であった年齢は、16歳→19歳→22歳→27歳という順なので、単に内向的だったときに司馬や氷室にであい、外向的になりはじめたころに梅棹やhideにであっただけなのかもしれない。
ただ、やっぱり、「司馬遼太郎・氷室京介」と「梅棹忠夫・hide」とでは、ちょっとちがうような感じがあるとはおもう。何がちがうのか、わからないが、前者はアジテーターではないということだろうか。前者の創作物は、なんかちょっと宙にういているような感じがしていて、後者のは、地に足がついた感じがしている。