すごくまずい酒の席

「このままやと、おれの議論にかてなくて、なぐってしまいそうやからって、『不毛な議論』なんて、すて台詞をはいて、にげんねやろ??」

とかいう、最低のワードをこの口から発してしまった。ごめんなさい。反省しておかなければならないな。

しかしながら、こういう最低のことばを発することができるということが、そもそも、教育的な価値が、めっちゃあるのだとおもうのだが、なかなか、教育関係者は理解しないっていうのをつきつけられた気がするな。「教育者」ということが、アイデンティティの一部になってしまっているひとは、「自分の"信じている"なにか(教育観とか、人生観?)」が、批判されることが、すごくこわいのだろうか。

そういう「おびえ」は、ぼくが信頼する百戦錬磨の上司からも、常々感じている。なんで、「教育者」は、そんなに「枠組」を神経症的に、気にするのだろう。なんで、そんなに、他者から、同意してもらって、みとめてもらいたがるのだろう。

自立してへんし、孤独をしらないなあ、というのが、ぼくの率直な感想と意見だし、そんな人々を再生産してきたのが、日本の教育のヤバさやとおもうのだが。

「教育者」とかいう、エゴイストの罪はおもいなあ。というのが、ぼく自身へのいましめでもあるが…。

反省もあるが、わかいってことで、四捨五入しておこう。そもそも、酒の席なんで、べつに、どうってことないことなのだがね🍀

人間って、むずかしい。社会って、むずかしい。いったい、どういう感じで、まわっているんだろう❗

なぜ、「観(もののみかた、感じかた)」がちがうだけで、「決裂」しなくちゃいけないんだろう⁉️

みんな、「他者に、なにか(正解)をもとめすぎ❗」とおもうのは、ぼくだけの息ぐるしさなのだろうか⁉️

2019/8/13 深夜