禁煙席と喫煙者・嫌煙家のすれちがい。対岸の自由をみとめるということは、なんとも複雑怪奇である。

居酒屋のカウンターで、タバコをくゆらすひとを、タバコぎらいのぼくは、どういう気もちで、みとめてあげれば、よいのだろう。

タバコをすう自由もあるが、タバコをうっとうしがる自由もあるとおもうのだけど。

ぼくは、となりの席にすわるオッサンが悦にいりながら、タバコをくゆらす自由をうけいれている。何本でも、すいやがれ!我慢してやる!

だけど、そのオッサンは、ぼくがタバコぎらいで、たいへん不愉快であるということをみとめているのだろうか。ぼくが、煙を手ではらうという感じで、露骨に不快感をしめしたら、どうなるのだろう。お酒の席である。場合によっては、ケンカになるのではないだろうか。

対岸の自由をみとめるということは、なんとも複雑怪奇なことだとおもう。ぼくには、どうしたらよいのか、よくわからない。もしかしたら、あのオッサンも、なにかしらの配慮をしているのかもしれない。加熱式タバコをすっていたし。どうでもいいが、加熱式タバコの煙も、けっこう不快である。