行為と妄想をかきのこしていくところ

心身の問題などに興味があります。「自分のこと」をことばで表現することで、こころのゆたかさをはぐくんでいます。このこころみのひとつひとつが、だれかのちからになっていたとしたら、とてもうれしいです。

自己責任論とか、だいっきらいだ。

「学費をはらえないんで、どうしましょう?性風俗で、はたらくしかありませんね。」などといわれて、いったいなんとこたえればいいのか。

「そうですね、がんばってください」が正解なのか?
性風俗は悪だから、やめときなさい」が正解なのか?
「ぼくはしりませんから、自己責任でやりなさい」が正解なのか?

「大学には、そこまでしてまなぶ価値はない」といいながら、これにこたえないっていうのは、ひとの道として、どうなんだろう。

「そんなこといわれても、しらんわい」というのが、正直なところだけど、しかし、「そこまでのことをいうのなら、キミがなんとか飯をくえるようになるまで、どこまでできるかわからないが、わたしの限界まで、つきあいましょう」と、こたえるのが、ひとの道だとおもうのだけど。

なにがいいたいかって、「他者に、たすけをもとめてきている人間」に、自己責任論で、対応するなってことだ。自己責任でかたづけられないから、それにくるしんでいるから、藁にもすがるおもいで、たすけをもとめているんだってことを、ちょっとでも、感じとることが必要なんじゃないのか?たとえ、そいつが、ウソつきだったとしても、信じないってことを社会のデフォルトにするのはちがうだろう。

正直者がバカをみる社会ってのは、たいへん息ぐるしいぞとおもうのである。

教育機関は、もっと、目のまえの人間のことをみなくっちゃいけないとおもうのである。