夢と現実。少年とおとな。

気持ちのうえでは、自分はヒーローにふさわしい「やさしさ」と「正義感」、そして、「逡巡するこころ」をもっていると、いまでもおもっている。しかし、いざ、おとなになってみると、ヒーローになるには、うつわが必要であるということに、気がつく。

うつわとは、つまり、精神のつよさのことである。

やさしさや正義感と悪を成敗することとのあいだに、こころがゆれ、逡巡するだけでは、ヒーローはつとまらない。そこに生じる矛盾をのみこむことができる精神のつよさが、ヒーローには、もとめられるのである。

思春期まっただなかのころ、司馬遼太郎のえがく、坂本竜馬にあこがれた。しかし、竜馬のようになることは、ぼくには、どだい無理な話だったのである。

これは、ただそれだけの話である。

だから、なにも、むなしくなることはない。少年のころ、いだいた夢は、おとなになり、かなわぬ夢と気づいたあとも、胸にひめて、もちつづけることで、また、ちがうちからをもちはじめる。

ヒーローになるという大志を一度でも、いだいてしまったひとは、それを信じるより、しかたがないようにおもう。