ある異邦人の素朴な感覚について。

原風景は司馬遼太郎に根ざし、思想的なよすがにしているのは梅棹忠夫であり、いきかたについては鶴見俊輔のようにありたいと、あこがれている、平凡な在日外国人。

人間のタイプとしては、いわゆる、病んだ人間であり、自己をアウトサイダーであると規定している。治癒のために、心身についての知恵をあたえるものとして、河合隼雄と竹内敏晴をたのんでいる。

いま、ここに存在していて、他者のまえにあらわれる自分は、はっきりと主張はしないくせに、我のつよさがあり、わかりにくくて、あつかいにくい人間だろうと、自画像をえがいている。

これらについて、「わたし」は、すべては主観であり、おもいこみでしかないと理解している。そして、このことをあきらめの根拠とし、自分のよわさを肯定している。これは、つまり、「いたい方角をむいて、死ぬこと」からの、にげ口上である。

以上は、妄想の産物である。

妄想をいきる「わたし」に、「いきる」という根源的なちから、つまり、妄想の世界から、とびだして、他者にはたらきかけるちからをあたえたのが、hideである。

そのちからによって、ピンクスパイダー(妄想人間)は、『ろけっとこざる』のように、宇宙(未知の世界)へ、とびたつのである。

ろけっとこざる (岩波の子どもの本)

ろけっとこざる (岩波の子どもの本)

かくゆう、「わたし」は、いま、酒のなかに、いきている。妄想のまっただなかである。

ひさしぶりに、ひとりでのむ酒はうまい。

だれのことも気にせずに、泥酔できる酒には、自由がある。

しかし、おそらく、ここは「いたい方角」ではないということに、気がついた。

とはいうものの、たまには、これもよいのだと、あらためて、気がついた。