学生が大学を退学するという問題について、大学職員や教員がもつべき発想。

除籍退学率5%を改善するという問題(数字は適当だ)に、どうやってとりくむのかという課題があって、それに、中規模以下の大学はけっこう苦慮している。

今日、JR大阪駅でみたストリートミュージシャンがつくる場に、ヒントがある気がした。

街なかで、ひとりの女性ストリートミュージシャンのまえに、30人ほどが、たちどまって、その歌をきいていた。

パフォーマンスのあと、ストリートミュージシャンは、「今日は、おいそがしいなか、足をとめていただき、ありがとうございました。わたしのまえに、おいているCDは、今日うたった歌も収録されています。ご購入いただければ、すごく、うれしいです。」といった。

たちどまっていた聴衆のなかで、10人弱が、CDをかっていた。CDの価格は、1000円と2000円の二種類あった。

このみしらぬストリートミュージシャンは、33%の人間のこころをうごかしたのである。

これをみて、ハッとおもった。

このミュージシャンが、たった2人でも、聴衆のこころをうごかせば、5%はこえるのである。

ぼくは、最後まで歌声をきいていたので、そのとき感じたことを素朴につづる。

ぼくの目のまえにあらわれる現象としては、このミュージシャンは、聴衆の30人全員にむかって、うたっていた。しかし、ひとひとりのこころに歌をひびかせるという本質的なことがらについては、どうも、30人全員にむかって、うたっていたようにはおもえない。

事実として、3割くらいの人間しか、お金をはらってCDをかっていないのである。

しかし、このミュージシャンは、彼女のいうところでは、「ファーストアルバム」といっていたので、インディーズかもしれないが、商品として、歌を生産しているのである。それなりの市場価値をもっているミュージシャンであり、無名の人間の需要があるのであ。

除籍退学率の5%というのをかんがえる。

このミュージシャンが、もし、今日のストリートでの演奏における努力目標として、CDの売上を聴衆の5%と設定しておれば、たった2人にCDをうれば、目標達成なのである。

目のまえで、たちどまってくれた2人の人間のこころをひびかせる歌をうたえばよいのである。

これは、氷室京介が、東京ドームで、5万人相手に、うたうこととは、ちょっと質がちがうようにおもうのである。

核のところはおなじようにもおもうが、表と裏のようなちがいは、あるようにおもう。

大学の除籍退学率5%うんぬんの問題は、もちょっと発想を逆転させるべきだとおもうのである。この辺のことをもうすこし整理してから、ちょっと提言してみたい。どうせダメなようなら、やめる決意をしているのだから。

「95%のできる人間」にむかっての教育では、カバーしきれない、「5%のできない人間」への教育があるはずである。

ここにはおおきな溝があって、決しておなじ方法では、通用しないのだとおもう。

きくところによると、音楽の世界では、インディーズでやっていたときには応援していたファンが、そのバンドなり、歌い手が、メジャーでデビューしたときに、ファンをやめるようなことがあるらしいのである。

ここには、質的な変化があるようにおもうのである。

マジョリティとマイノリティとのあいだは、もちろん断絶していてはいけないが、質的なちがいがあるのだとおもう。

以上は、ちいさい数の人間を対象にするときと、おおきい数の人間を対象にするときには、発想を逆転させなくてはいけないような気がするという着想のメモである。

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