だれかにいってみたり、どこかにかいてみたりすることで、わかっていないことの外堀がすこしずつうまってきて、みえてくることがある。

わかっていないことでも、とにかく、だれかにいってみたり、どこかにかいてみたりすることは、よいことだ。

直接、だれかにいったとしたら、その相手は、かならずリアクションしてくれる。無視されたり、めんどくさがられることも、もちろんリアクションだ。

このリアクションが意味するところを吟味すれば、「わかっていないこと城」の外堀の一角が、すこしでもうまるだろう。

SNSなどに、かいてみることもおなじだ。ここにかけば、自分で客観的に、ふりかえることもできるし、だれかがコメントをくれるかもしれないし、また、だれかがそっと、"いいね"をくれるかもしれない。

自分が客観的にみかえすことも、ひろい意味ではリアクションだ。未来の自分が、過去の自分にリアクションしたわけだ。うしろのふたつは、いうまでもないが、ここからわかるのは、だれかの琴線に、自分のわかっていないことが、どういうわけか、ふれたということだ。これでもやっぱり、「わかっていないこと城」の外堀の一角が、すこしでもうまるだろう。

ようは、他者のリアクションから、はっと、気がつくことがあるのだ。