脱アウトサイダーとしていきていくために、だれかと酒をのむときに、酩酊するまで、のみつづけるのをやめようとおもう。

なんか、よくわからないけど、いま、なんだか、「自分の話をしたくない」という感覚が、うまれてきている。

聞き上手になりたいというか。とにかく、あんまり、自分の思想をひろげすぎずに、相手とわかりあえるくらいの距離をたもっていたい。

こういう感覚があるから、たぶん、深酒をしたときの自分が、最近、過度に嫌なんだ。

お酒をのむ量があるところをこえると、距離をたもつ計器がぶっこわれてしまって、なんか、自分の意識のなかから、目のまえの他者がきえてしまうような感覚になる。

「なんで、オレひとりで、しゃべってるみたいな空気になってるねん。えっ?ずっと、いままで、オレ、まわりの空気をこわさんようにしてたやん。いまちょっと、しゃべりすぎただけで、なんで、こんな、しらけた空気を感じなあかんの。。」と、いきどおりと自己嫌悪が、いりまじった気もちになることが、しばしば、ある。

たぶん、過剰に意識してしまっているだけのところもあるのだろうけど、そのとき、すでに他者との距離をたもつ計器がこわれているから、なんで、目のまえの他者が、しらけていって、さっと、うしろにひいていっているようにおもえて、孤独を感じるのか、もはや、わからなくなってしまって、どうにもならなくなっている。

いま、鶴見俊輔から、「真理は、いたい方角にある。~中略~おもいちがいのなかで、おもいちがいをすてることでその方角をむいて死ぬ以外に、なにができよう。」(退行計画より一部引用)というコンパスをもらって、これで、むかうべき道の方角をまちがうことがないだろうという安心がある。自分を信じて、いきていくことが、これで、ようやくできそうな直感がある。

鶴見俊輔 (KAWADE道の手帖)

鶴見俊輔 (KAWADE道の手帖)

とにかく、ぼくは、いま、この直感を直観にまで、たかめて、納得できるようにしたい。これをするには、酒から、ちょっと、距離をとる必要がある気がする。

ひとりでのむ酒はいい。
だれかとのむ酒も、少量であればいい。

いま、すこし自制すべきは、他者と、大量の酒をのむことだとおもう。しばらく、これはひかえようとおもう。率直なところをいうと、酩酊することなしに、他者とのあいだに、ひらかれた自分をあらわにしたいのかもしれない。

アウトサイダー (集英社文庫)

アウトサイダー (集英社文庫)