政治を勉強するには時間が必要なのに、残業つづきの大衆には、その時間がない。この悪循環が、ポピュリズムをうむんじゃないのか?

だれに投票しようかと選択をせまられると、なかなかむずかしいことがわかってきた。

どいつもこいつも、政治家という職業の人間は、大衆性をくすぐってきやがるから、うっかりとろかされるこわさがある。

たかだか一票を投じるだけであるが、ただしく意思決定するためには、相当、いろんなことをしっておかなければいけないんだと、わかってきた。

しっかり政治に参加するには、しっかり政治のことを、自分のこととして、勉強する必要が、どうやらある。

しかしながら、その勉強の時間をとりにくいながれが、社会にはある。「残業、残業、休日返上、組織のために自己研鑽!」という毎日がつづく。

これでは、政治のことを勉強する暇がない。

ここで、ポピュリズムという概念が気になるのだが、これがなんとなくわかる気はするが、つかみどころがない。下にシェアした記事は、まとまっていて、たいへんわかりやすい。そもそもポピュリズムとは、定義があいまいで、わかりにくいものらしい。

globe.asahi.com

わかりにくいことは、しっかり時間をかけなければ、わかることができない。しかし、大衆には、時間が、そもそもない。ことが、自分のなかにあるポピュリズムに関することだから、この状態であることは、とても危険で、こわいことのようにおもえてならない。