ぼくが経験して、みてきた、日本の体育教育への違和感について。

体育教師は、おそらく、学生時代にスポーツを一生懸命にがんばってきたひとたちだ。このようなひとが、体育をおしえているから、日本の体育はあまりおもしろくないのだ。

スポーツとは、身体を極限まで、いためつけるいとなみだ。

今日、阪神タイガースのエース、メッセンジャー投手の引退セレモニーがあった。引退登板をみごと無失点でおえた。

かれの引退理由は、右肩だか、右肘だかが、もうボロボロで、万全の投球ができないということだ。

このように、スポーツ選手の運動は、身体をいためつけるいとなみなのだ。

これがいったい、身体をはぐくむと表現する「体育」といえるだろうか。

もうひとつ。

本来、身体をうごかすといういとなみには、よろこびがともなうはずなのだ。

たとえば、5kmを自分の呼吸を感じながら、じっくりとはしってみたときの爽快感をおもいだしてみてほしい。

日本の体育教育では、よろこびなど、なんにも感じられない。5kmをはしりきることができたとしても、「タイムがおそい」、「全体で何番だ」、「来週は10kmだ」、などと、なんともわずらわしいことが、あとからつづいてくる。

こういう発想は、すべて、勝負の世界にいたスポーツ経験者だから、でてくるものだ。

こういうものだけを基本にすえて、体育教育をやっていては、そりゃ、なにか理由をつけて、サボる人間がふえるにきまっている。

少年のとき、友だちと公園で、鬼ごっこをして、はしりまわっていたときのたのしさが、体育教育にはないというのが、ほんとうに、不思議だ。