1日のしめくくりに。『ゲッベルスと私』の感想と阪神タイガースの鳥谷選手の退団のこと、など

今日は、夜の8時すぎまで、はたらいて、帰宅後は、阪神タイガースのユニフォームをきる鳥谷選手の最後の勇姿をみながら、夕食をたべた。

「ここで引退して、将来の幹部候補として、がんばってくれ」という球団からのさそいをことわって、「野球選手として、納得できるまで、やってみたい」という"わたし"の意思をたいせつにした鳥谷選手をぼくは応援したい。個人の意思は、集団の意思とおなじおもさとして、あつかわれるべきものなのだとおもうのだ。

それから、9時半ころに、お風呂にはいって、その後は、缶ハイボールをのみながら、自室の机にむかって、『ゲッベルスと私』という本をよんでいる。そして、よみながら、日本国籍を取得するということをぼんやりと、想像している。

ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白

ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白

もし、ぼくが日本国籍を取得するという選択をしたとき、おそらく、親族のだれもが、真意までわかってくれないだろうと容易に想像できるので、それをおもうと、なかなかさびしい気もちになる。

ぼくはいま、1日のおわりをこんなふうにすごしていて、生活のゆたかさを肌で感じることができているような気がしている。

そういえば、ぼくの最近の生活は、これにくわえて、週末には、居酒屋にいって、マスターや近所にすんでいる、名もしらないオッサンとしゃべったり、ときには社交の場にいってみたりしているのだから、まったくゆたかな生活だとおもうし、そこには多様性があるようにさえおもえる。

ところで、おなじ職場のえらいさんは、毎日、8時、9時まで、なんかしらんが、いのこっていて、週末にまで、事務所にでてきている。

たくさんはたらいて、えらいもんだとおもうが、しかし、そんな生活をしていて、はたして、未来につながる人間社会の一員だといえるのだろうか。ちかごろ、ぼくには、そういう疑問がある。

ナチ宣伝相ゲッベルスの秘書だった「ブルンヒルデ・ポムゼル」をしってから、自分の所属している集団のなかだけで、自分の生計をたてるだけのために、一生懸命に、はたらくだけの生活をおくっていては、ながい目でみると、たいへん危険なことになるような気がしている。

9月は、ちょっとばかしナチスヒトラーのことを勉強し、多少なりとも、しることができた。頭のなかには、ナチスヒトラーなどのことが基本的にずっとあって、割合、よくかんがえたとおもう。そのためか、自分自身への不信感が、自分のなにに対してあったのか、みえてきたようにおもう。それは、きっと、ヒトラーやブルンヒルデ・ポムゼルという人間のなかにあったものと、ほとんどかわらないものなのだとおもうのだ。

ナチスヒトラーのことなど、全然頭になくって、ほんとうに偶然、古本屋で、水木しげるヒトラーの漫画をみつけて、よんでみようとおもいたったのだけど、すごくナイスタイミングだった。たまに、本屋にいくと、こういう幸運があるから、よい。

劇画ヒットラー (ちくま文庫)

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