十代までは、ぼくのまわりには、梅棹忠夫的な、といっても、そのころはまだ、梅棹にはであっていないので、どういえばいいか、民族学者的なものが、残念ながら、なかった。
二十代からは、それがある。自分で開拓した世界だ。日本には、まだ、梅棹忠夫的なにおいをかぐことができる場所が、たくさんある。
二十代のぼくの人生の仕事は、これをさがすことだったといえるかもしれない。
三十代の仕事がわからない。そもそも、司馬遼太郎的世界だけが人生のロールモデルだったので、30歳で死ぬ物語しか、えがいていなかった。未来のことはわからないので、来年死ぬかもしれないが、たぶん、あと何十年かは、いきているだろう。
三十代をどうするか。とりあえず、hideよりも、ながいきしようとおもったが、それでは34歳までしか、いきられない。
いきる目的など、ないのだとおもっているが、しかし、人間は、なにかしらの目的を設定しないと、いきにくい。
三十代からは、自分のまわりに、梅棹忠夫的なものをたくさんつくっていこうとおもう。それが、ぼくのいきやすさにつながると、ある種の信仰的な態度で、そうおもうのである。
梅棹忠夫的なものは、ぼくにとっては、とにかく、たのしいものなので、そういうものを自分のまわりに、ちいさく、つくっていこう。それが、ぼくの三十代だ。
二週間ぶりくらいだろうか、ひとり酒をやっている。よっぱらいながら、ことばにすることは、もうやめようとおもっていたが、ひさしぶりだし、たまにはいいだろう。