セカンド・オピニオンをうけたことを患者は、かかりつけの医者に、いいにくい。

患者には、かかりつけの医者に、「セカンド・オピニオンをうけてきました」とは、いいにくい心性があることをしった。

これはなぜだとかんがえてみたが、ひとつは、それが、かかりつけの医者への裏切り行為だと、患者にはおもえるからだ。患者は、自分の身体をあつかう医者を信じていたいものではないだろうか。

もうひとつは、やっぱり情報の非対称性とか、情報が医者に掌握されていることだろうとおもう。

患者としては、より信頼できる医者に、身体をあずけたい。しかし、できるならば、これまでの自分の病状や既往歴をしっている医者にみてもらいたいとねがう。また、あたらしい医者をさがすなか、より変な医者にであったり、病院ごとに、何度もおなじ検査をうけたり、症状を説明したりする気苦労をおもう。このため、患者は保守的になり、かかりつけの医者との関係を現状維持したくなり、セカンド・オピニオンをうけたことをつたえる選択肢がなくなる。

セカンド・オピニオンなどというものができた歴史をしらないので、どういう意図があるのか、これからしらべる。しかし、そもそも、それをしようとおもった時点で、かかりつけの医者との関係性は、ほとんど破綻しているような気がするので、医者と患者の情報の非対称性などをとりのぞくには、もっとべつの切り口が必要だとおもう。

その切り口のひとつとして、ドクターハラスメントはおもしろいかもしれない。患者は、医者よりも、情報的に、よわい立場にいるので、とにかく病状についての意見をはっきりということができるように、まもることが必要かもしれない。信用できない医者ほど、権威主義だから、権威にたいして、患者はもうすこし、つよい味方が必要のような気がする。

権利だ、義務だの話になると、面倒なので、やめよう。

うえの問題を解決するには、カルテを患者の所有にすることだとおもう。患者自身のデータベースを個人所有し、そこに、すべての病院での、あらゆる診察をすべて記録するのである。このようなサービスをどこが提供するのかという問題だけど、むずかしいな。

生命保険会社が、やるわけにはいかないだろうけれど、生命保険業界みたいに、複数の私企業が、独自のデータベースサービスを提供するみたいなしくみはつくれないだろうか。

とにかく、医者だけが、病院だけが、患者の情報をにぎっている状況をどうにかしたい。