かれらは、調査対象となったひとびとに、感動したからだ。そこに、「我」なんか、あらへん。
その社会の構造をときあかしたいとか、人類についての知識をふかめたいとか、そういうのは、民族誌をかくときには、なかったとおもう。
ただただ、その民族、その社会のひとびとに、感動したから、かきたくなったのだ。きっと、そうだ。
民族学を方法論で、とらえてはいけない。技術ではあるが、技術として、あつかうものではない。
マスターのお店で、串カツをほおばりながら、お酒をのみ、マスターとかたりあっていて、これがわかった。
マスターからきいた、マスターのことを、そんな軽率に、かくことはできないのだ。マスターからの信をうらぎるような、そんなことはできない。
そういう感覚があるにもかかわらず、民族学者は、民族誌をかく。ここには、我なんか、ありっこない。ぼくは、マスターからきいたことをここにかいてはいけない。ここにかくことは、マスターをうらぎることになるからだ。それが、ぼくが民族学者ではない、たしかな理由である。プロではなく、民族学をまなぶことで、自分を社会化しようとしている人間は、自分のことを叙述してはよいが、他者のことを容易にはかいたらいかんのや。