胡蝶の夢日記 行為と妄想をかきのこしていくところ

心身の問題や民族学に興味あり。「自分のこと」を言語で表現することでみえてくる自己実現について、かんがえながら、ブログをかいています。社会性って、なんだろう?どうしたら、社会に参加できるのだろう。

【M1グランプリ2019】大阪人的感覚では、ミルクボーイ、ぺこぱ、かまいたち、どれが一番おもしろかったのか。

きのうのM1グランプリについて、おもうこと。

お笑いフリークというわけではないけれど、やっぱり大阪人としては、血がたぎるので、いろいろと寸評もしたくなる。「俺は笑いをわかっている」というおもいこみをもっているのが、大阪人の大阪人らしさであるような気が、多少するのである。

きのうのM1は、たしかにレベルが、たかかった。決勝ラウンドにのこった3組については、かまいたちのみしっていて、ほか二組は、この日はじめてしったけれど、どのコンビが優勝しても、文句がなかった。しかし、グランプリなので、どうしても、順位をつけなければならない。

それで、ぼくは、最後の結果発表まえに、つぎのように、順位予想をした。

1.ミルクボーイ
2.かまいたち
3.ぺこぱ


結果は、予想どおりであった。

これで、ぼくの大阪人としての眼力は、たしかなものであると納得したのだけれど、それはあくまで、外的に評価され価値づけられていることがらに対する値踏みについての眼力の話である。

自己に関することにひきつけると、もうすこしちがう順位づけになる。

きのう、結果発表まえに、まずはじめにおもったのは、「ぺこぱに1位をつけたい」ということである。

思考のながれとしては、まずはじめに、「個人的には、多少荒々しさはあるが、個性的で、あたらしさのあるぺこぱに、票をいれたいとおもうけれど、来年、もっと技術をみがいたすがたをみてみたい気もする。」という直感があり、「総合的に、完璧にちかかったミルクボーイが優勝かなあ。」とおもい、「かまいたちは、中堅すぎるから、漫才がうまくてあたりまえ。M1の理念に反するところがあるから、優勝はダメだ。」という価値判断があった。

M1には、できた当初は、「10年やって、準決勝にものこられへん芸人は、やめよう。つぎの道をさがすきっかけにしよう。」という裏の理念があった。いまはコンビ結成15年までに参加資格がひろげられているけれど、やっぱり若手の大会なんだとおもうのである。

というわけで、かまいたちはなしで、ぺこぱとミルクボーイの二択になる。

ここで、なぜ、ぼくが完璧にちかくおもしろかったミルクボーイより、ぺこぱをおしたかったのかであるが、これが、ぼくという存在にとっては、きわめて重要なことなのである。

ぼくのなかの「大阪人的感覚」では、ミルクボーイとぺこぱであれば、まちがいなくミルクボーイをえらぶ。なぜなら、ミルクボーイは大阪的であり、ぺこぱは、おおきくわけると、大阪的ではなく、東京的な笑いだからである。しかしながら、ぼくは、第一次のおもいつきでは、ぺこぱをえらびたかった。

この「ぺこぱをえらびたい」ということが、まっさきに、おもいうかんだということが、とても重要なのである。

ぼくは、この日、ぺこぱをしって、ぺこぱをえらびたいとおもえたことが、すごくうれしい。ぺこぱは、ぼくのなかの「大阪人の壁」をくずしたのである。ぺこぱの、ああいう感じの笑いは、ステレオタイプな大阪人を気どるひとは、すこしきらうのであるが、そういう大阪人気どりのぼくを、ぺこぱは心底わらわせたのである。

ここに、ぼくの「わたしは大阪人」という象牙の塔はくずれさり、みずからのものさしで、自分の感覚をはかり、感じていることと、かんがえていることを、ぼくは自分の手でつかみとることができるようになったのである。

おおげさのようだけれど、おおげさではない。ぺこぱによって、ぼくは自分のなかのドミナントストーリーが、オルタナティブストーリーへと変化していることを納得したのである。ぺこぱの漫才という体験は、ぼくにとっては、えがたきものだったのである。

ところで、ぺこぱの松陰寺太勇という紫のひとだけれど、身ぶり手ぶりに言動が、ちょっと氷室京介をリスペクトしてそうだから、なおのこと、したしみぶかかった。あれは、きっと「KISS ME」のミュージックビデオを研究しているとおもう。

KYOSUKE HIMURO -KISS ME-