こころとからだの関係を自分でつかむのはむずかしいと、ジョギングをしていて、おもった。「こころは、からだをおさえていたのに、からだは、かえって、いきおいよくうごいていた。」という変な感覚。

運動しているひとは、ただ単に運動するだけじゃなくて、こころのトレーニングもすると、効果的だとおもいます。


運動によって、こころの不思議をまなびましょう!


そのひとつの方法として、言語化することがあります。
運動していて、感じたこと、かんがえたことをことばにするんです。



<以下、今日のいまさっき、ぼくがジョギングして、感じた問い>

なぞだ。人間の心身の関係って、なぞだ。

意識的に、それをとらえることって、ほんとうに、むずかしい。

いま、ちょうどジョギングをおえた。約5kmをはしって、24分と50数秒かかった。
このペースは、けっこうすごいと、自分的には大満足だ。

大満足なのだが、このペースではしれたことが、かえって、心身のなぞがふかまった。

タイムをねらわず、ゆっくりはしろう。
しんどくなってきたら、めんどくさいので、ゆるくやろう。

そのように、つよく意識しながら、はしっていた。
ちょっとペースがはやくなってくると、おさえて、~のくりかえし。

体感としては、手をぬいて、はしったのに、けっこうなペースではしることができていた。変な感じだ。

こころとからだは、どのように接続されているのか。
こころは、からだをおさえていたのに、からだは、かえって、いきおいづいていた。よくわからない。

はしりおえたあとの疲労感は、けっこうなペースではしっていたのに、ほとんどない。
意識的に、タイムをねらったときの方がつかれるし、そして、平均よりも、おそいタイムになるし。

はあ、つかれた。
疲労感はないといったが、つかれはする。風呂にはいろう。