からだの感覚をことばで表現することの重要性。落合博満の打撃技術の本から、まなぶ。

よんだひとが、「なるほど、そういう理屈か!」と納得できたり、動作をイメージできるくらいの説得力をもたせるかたちで、自分のからだの感覚について、ことばにして表現することができる。

これは落合博満という人間の強烈な個性である。

かれは、野球選手として超一流だけど、からだの感覚を言語化するということについても超一流なのである。

ぼくが、野球がすきなのもあるけど、この本は、ぼくが身につけたいこと、理解したいことの基礎的なテキストになるものだと、ほとんど確信している。

小中高と、体育教師は、まるでとんちんかんな精神論みたいなことしか、おしえてくれなかったし、くわえて、学校教育用の教科書にも、ここにかかれているような「からだの感覚をことばにして、理解して、つかむ」ということの意義は、気づくようには、かかれていなかった。

ぜひ、学校教育の体育のおかげで、運動嫌いになったひとたちは、野球に興味があるなら、一度、Wikipedia落合博満の成績をみて、YouTubeで打撃をみて、そのすごさをしったうえで、この本をよんでみてほしい。野球に興味がないひとも、よんだらよいとおもう。きっと、たのしく運動するきっかけになるとおもう。

極端なことをいってしまうと、学校の体育教師なんか、たいしたひとはおらんねん、ということである。頭でっかちな精神論か、ことばたらずの技術論しか、やれないのだ。特に、偏差値ヒエラルキーの上の方にいる進学校の生徒などは、注意してもらいたい。進学校の教師は、半端なことしか、おしえられないのに、嘘を、権威のちからをかりて、ほんとうのように、ごまかしてくるので、うっかりだまされてしまうから、たいへん危険なのである。

このひとらにつきあうのは時間のムダだから、落合博満のこの「身体感覚を理解し、つかむことに関する最良のテキスト」をだまって、しかし、堂々と体育教師のまてで、よむべきだろう。その行為が、からだの主体性を獲得するための第一歩なのである。

落合博満 バッティングの理屈

落合博満 バッティングの理屈