「絶対に、よわい立場にたって、いきていこう」という態度としての素振り。定時で仕事をきりあげて、バットを素振りする日常。

人類の未来のための責任なら、おうことができるように、努力したい。

ずいぶん、おおげさなことをいう。

しかし、人間の理屈より、組織の論理を上位におき、人類の未来から反対の方向にむかっているような組織には、なんの責任もおいたくない。そもそも、おうことができない。

なによりもまず、人間は、個人であらねばならない、とおもうからだ。だから、個人が存在しない組織には、死んでも、抵抗しなければならないとおもう。絶対に、そんな組織に、尻尾をふってはいけないとおもう。

これは、口でいうだけではものたりないから、そろそろ行為でしめさなければならない。ぼくも、そんな年齢に、さしかかってきたとおもう。

今日は、木製のバットをかってきた。
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おもさは930g、ながさは85cmくらい。店員さんいわく、「標準より、すこし、おもい」。
ただ、落合博満は、950~970gのバットをつかっていたというので、これくらいで、ちょうどよいとおもう。
新品が3200円くらいで、かうことができたので、たいへん満足だ。店は、梅田にある「球児先生」というところだ。

これで、また気分があらたまって、素振りをすることができる。
また、あとで、素振りした感触をしっかり言語化しようとおもう。当分は、ひまをしない、よいあそびができた気でいる。

しかし、これは、単なるひまつぶしではない。ぼくはこの素振りを人類の未来のために、意味のあるものだとかんがえて、やっている。

ぼくにとって、バットをふることは、集団や組織からの同調圧力から、抵抗をしめす、ひとつの態度なのだ。

うまくいえないけど、ぼくという存在の全体には、そういうながれがあるのだとおもっている。