行為と妄想をかきのこしていくところ

心身の問題などに興味があります。「自分のこと」をことばで表現することで、こころのゆたかさをはぐくんでいます。このこころみのひとつひとつが、だれかのちからになっていたとしたら、とてもうれしいです。

合理化したい仕事。合理的思考の訓練と運動(落合博満の思考をたどりながら、素振りをする)。

日記。

今日は仕事だった。奇数週の土曜日なので、半ドンなのだが、18時半ころまで、残業していた。やった業務は、コンピュータと人の手で作成した時間割と元資料とを声にだして、よみあげて、つきあわせていくというもの。はなはだしく、原始的な手法だ。最後の方は、ちからつきて、チェックはザルだし、よみとばしていたり、チェックをつけわすれていたり、ヒューマンエラーだらけだった。確認作業になっているのか、まったくうたがわしい。時間割作成の行程を整理して、可視化してから、チェックポイントを論理的に、みちびきだすくらいのことをした方が、チェック能力は、質的にパワーアップするとおもうが。

うえのような仕事をしていたので、今日は、半日以上、首を下にむけっぱなしだった。おわったころには、左側の首筋が、ふたたび、ややつよく、いたみはじめていた。帰路についたころには、はやく、ねころんで、首をやすめたいほど、つらかった。

しかし、今日も、しっかりとバットスイングをおこなった。50分弱をついやし、たぶん100スイングくらいはやった。首に関しては、専門家から、可動域について理論的に説明をうけていて、どこまでうごかしていいのか、おおよそ理解できていたし、また、「運動しても大丈夫。むしろ、このたぐいのいたみでは、からだをうごかしながら、なおしていくことの方が、主流だ。」とも、説明をうけていたので、割合安心しながら、バットスイングをおこなっていた。これについては、今日は不思議な感覚があった。からだをうごかすまえ、うごかしはじめは、首筋がいたくて、すごくしんどかった。しかし、30分ほど、バットスイングをおこなっているうちに、いたみがひいてきたのだ。理屈はわからない。血流がよくなって、いたみがとれたのだろうか?なんにせよ、よかった。

近頃は、隙間時間には、ほとんど落合博満のバッティングの連続写真をながめている。また、仕事中、トイレにいったときや、からだをのばしたいときなどには、バットスイング時の右腕のぬきかたの練習をしている。自分でいうのもなんだが、たかだか1ヶ月ちょっと、週5日前後、一回40~50分くらいの練習量で、いまのレベルのスイングができているのは、上達がはやいとおもう。これは、まちがいなく、うえのようなイメージトレーニングをしているからだとおもう。スポーツは頭をつかってやるものだ。無意味に、過剰な量の運動をおこなって、からだを酷使したって、上達しない。体育教師や部活の顧問のおおくは、はなしをしてみれば、よくわかるが、やっぱりちょっと頭がたりないだろう。

バットのグリップについて。はじめてバットをかうので、わけがわからず、グリップがややふとく、また、グリップエンドにかけて、ふとくなっていく仕様のものをかった。はじめは、これがふりやすいとおもっていた。しかし、ふりこんでみると、なんだか、ちょっと、ちがう感じがしてきた。もうすこし、グリップはほそくて、また、グリップエンドにむかって、ふとくならなくてもよいという感じがある。