【宮崎駿『風立ちぬ』】年老いて、なお、かれることのない偉大な精神。

宮崎駿の引退作らしい『風立ちぬ』をみている。何年かまえに、テレビで放送していたものを録画しておいた。

いま、ようやく半分くらいみた。やっぱり、映画は、みるのがつかれる。1時間もたてば、集中力はきれる。こんなようでは、とても、映画館では、やってられない。

風立ちぬ』は、飛行機がテーマである。みていないひとで、このエントリをよんでしまったかわりものさんには、すみませぬ。

宮崎駿のことは、ほとんどしらない。なんにもかんがえすぎなかったころ、もっとピュアだった少年のころにみた、『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』だけ、最後まで、たのしみながらみただけの人間だ。なので、なんにも、寸評できないのだが、引退作に飛行機をテーマにしたのは、たぶん宮崎駿っぽいのだということは、わかる。

サンテグジュペリに、『人間の土地』という本がある。22歳、23歳のころに、居酒屋の鳥貴族で、大ジョッキをかたてに、よんだ記憶がある。これも、飛行機が主題の作品だ。

宮崎駿は、この『人間の土地』の解説を巻末にかいている。どこの出版社の翻訳だったかは、わすれた。そこには、たしか、少年のころにあった、飛行機へのあこがれが、率直に、つづられていたとおもう。

最後の引退作の主題に、真正面から、それをえらんだのだとおもうと、なんか、グッとくるものがある。引退するまで、かれのなかにある何事かは、かれてはいなかったのだ。

そういうことをおもいながら、みていると、なんか、はじめから、涙で、目がうるんでいる。はじめは、これは、きっと、お酒のためだとおもっていた。しかし、うえのことに気がついたあとは、そうではないとおもう。

少年のころに夢想したことを、年老いてなお、夢想できるというところに、ぼくは、いま、とてもグッときている。その荒唐無稽の夢想を誰にもうばわれることがなかった偉大な精神に、自分のなかにも、きっとあるはずの何事かをゆさぶられている。

ぼくがいま、「オールドルーキーや」などと夢想して、バットの素振りに熱心である理由は、つまり、こういうことなのだ。

さて、ひとやすみしたので、これから、つづきをみる。