この作品もまた、『風立ちぬ』とおなじく、「戦争」というテーマが、底流にあるようだ。
ひとは、自己が成長する途上では、なにかと精神が不安定になる。その不安定は、特に思春期に、ひどくなるのだが、"ふつう"に、恋だ、なんだと、経験することができれば、「青春の傷さ」とわらいながら、つっきることができるようにおもう。けれども、そこに、「戦争」という不条理によって、わけのわからない味をつけられると、その不安定は、もっとこころのふかいところでおこってしまい、自分の実存の不可解さをつきつけられてしまう。そんなことを感じる映画だった。
むずかしいことは、わからないけれど、ぼくの実存には、戦争がふかくかかわっているのは、事実だ。この傷を同時代人と、わけあうことができずにいたことが、虚無感をつよくしていったのかもしれないとおもう。
『コクリコ坂から』と『風立ちぬ』をつづけて、みたことで、なにかをつかんだ気がしている。「戦争が、のこした傷」みたいに、ひとことでいってしまうのは、どうかとおもう。もっと、丁寧に、ことばをつくしていくべきことだとおもう。そこには、きっと、100人いれば、100とおりの傷があるはずなのだ。その傷の根は、ふかい。4世代くだった平凡な人間の実存さえも、ぐらつかせるちからがあるのだ。
これらの2作には、たいへん感動させられた。「ジブリって、やるなあ!」と、いまさらながら、おもった。
余談だけど、あわてて、『コクリコ坂から』をみたのは、落合博満が『戦士の休息』というエッセイで、それを一章をつかって、とりあげていたからだったりもする。いつかみよう、いつかみよう、とおもっていたので、ネタバレされては、こまるとおもったのである。