新型コロナウイルスの感染爆発回避対策のための自粛中の街の様子(大阪の北側)。

用事があったので、街へでた。ついでなので、ひさしぶりに、街をあるいた。中津駅から出発し、中崎町駅を経由して、東梅田駅まで、あるいた。あるいた時刻は、10時~11時半である。


ぶらぶらと、街のなかを、ただあるいていただけなのだが、やっぱりたのしかった。街を自由にあるくことができるということは、それだけで、しあわせなことだったのである。


中崎町は、やっぱり雰囲気のある街だとおもった。すんでみたいとおもったし、オシャレをして、あるいてみたいともおもった。ちょっとまえまでの自分は、「センスだとか、感性がないから、よくわからん」と、劣等感や自信のなさに左右された尺度でしか、中崎町をあるくことができなかったが、ずいぶん、感じかたが、かわったとおもう。
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ところで、うけうりだが、この街が、たのしい街並みであるのは、仕掛人がいたから、らしい。街はたぶん、「だれかが種をまいて、それに共鳴したひとびどが、水をやり、花がさく。そして、また、あたらしいひとびどが共鳴していく」という原理原則があって、変化していくのだろうとおもう。自分が、いますんでいる町は殺風景であるが、すこしずつ、種をまいていことおもう。ぼくはいま、家のまえで、よくバットの素振りをしている。近所に、ひっこしてきた若夫婦が、よくそのまえをとおるのだが、「こんにちは」、「こんばんは」と会釈するようにしていたら、いつのまにやら、顔見知りのご近所さんになっていた。ささやかなご近所つきあいであるが、これも、町をゆたかにする種まきなのだろうとおもう。


中崎町については、不動産の価値のことが、気になった。関心がないので、ものさしをもっていないが、土地の値段や家賃は、たかいのか、ひくいのか気になった。



つぎは、梅田である。ひとが、とてもすくなかった。梅田は、ごちゃごちゃしていて、きらいなので、よくわからないが、HEP FIVEまえのスペースで、これほど、ひとがすくないのは、めずらしいような気がする。
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阪急百貨店まえや、ホワイティ梅田も、ひとがすくなく、エスカレーターには「節電のため停止中」と掲示されていたり、照明がおとされ、うすぐらかった。
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しかし、阪急百貨店のなかの食料品売場は、比較的、ひとがおおかった。
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この様子をみると、ホワイティ梅田や地上に、ひとがすくなかったのは、おおくのお店が休業しているからかもしれない。シャッターがおろされ、「休業中」という貼り紙が、街なかにはおおくあった。おとずれる場所がないから、ひとがいないのかもしれない。



むやみに人ごみに、とびこんでいくことも無謀と無思慮だとおもうが、しかし、ただ単に自粛して、家にひきこもっていることも無思慮だとおもう。ついさっき、メディアでは、「ゴールデンウィークになりましたが、観光地には、ひとがいません。みなさん、がんばって自粛しています。これは、わたしたちの成果ではないでしょうか。」などといっていたが、これは全然ちがうとおもう。