用事があったので、街へでた。ついでなので、ひさしぶりに、街をあるいた。中津駅から出発し、中崎町駅を経由して、東梅田駅まで、あるいた。あるいた時刻は、10時~11時半である。
ぶらぶらと、街のなかを、ただあるいていただけなのだが、やっぱりたのしかった。街を自由にあるくことができるということは、それだけで、しあわせなことだったのである。
中崎町は、やっぱり雰囲気のある街だとおもった。すんでみたいとおもったし、オシャレをして、あるいてみたいともおもった。ちょっとまえまでの自分は、「センスだとか、感性がないから、よくわからん」と、劣等感や自信のなさに左右された尺度でしか、中崎町をあるくことができなかったが、ずいぶん、感じかたが、かわったとおもう。
ところで、うけうりだが、この街が、たのしい街並みであるのは、仕掛人がいたから、らしい。街はたぶん、「だれかが種をまいて、それに共鳴したひとびどが、水をやり、花がさく。そして、また、あたらしいひとびどが共鳴していく」という原理原則があって、変化していくのだろうとおもう。自分が、いますんでいる町は殺風景であるが、すこしずつ、種をまいていことおもう。ぼくはいま、家のまえで、よくバットの素振りをしている。近所に、ひっこしてきた若夫婦が、よくそのまえをとおるのだが、「こんにちは」、「こんばんは」と会釈するようにしていたら、いつのまにやら、顔見知りのご近所さんになっていた。ささやかなご近所つきあいであるが、これも、町をゆたかにする種まきなのだろうとおもう。
中崎町については、不動産の価値のことが、気になった。関心がないので、ものさしをもっていないが、土地の値段や家賃は、たかいのか、ひくいのか気になった。
つぎは、梅田である。ひとが、とてもすくなかった。梅田は、ごちゃごちゃしていて、きらいなので、よくわからないが、HEP FIVEまえのスペースで、これほど、ひとがすくないのは、めずらしいような気がする。
阪急百貨店まえや、ホワイティ梅田も、ひとがすくなく、エスカレーターには「節電のため停止中」と掲示されていたり、照明がおとされ、うすぐらかった。
しかし、阪急百貨店のなかの食料品売場は、比較的、ひとがおおかった。
この様子をみると、ホワイティ梅田や地上に、ひとがすくなかったのは、おおくのお店が休業しているからかもしれない。シャッターがおろされ、「休業中」という貼り紙が、街なかにはおおくあった。おとずれる場所がないから、ひとがいないのかもしれない。
むやみに人ごみに、とびこんでいくことも無謀と無思慮だとおもうが、しかし、ただ単に自粛して、家にひきこもっていることも無思慮だとおもう。ついさっき、メディアでは、「ゴールデンウィークになりましたが、観光地には、ひとがいません。みなさん、がんばって自粛しています。これは、わたしたちの成果ではないでしょうか。」などといっていたが、これは全然ちがうとおもう。