反抗期について。わかいうちに、うまいぐあいに、しっかり反抗の表現をやっておきたい。【河合隼雄 斎藤次郎 書評】

斎藤次郎『気分は小学生』という本をよんでいる。河合隼雄が紹介していた本である。
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内容は、簡単にいうと、50歳をこえた"おっちゃん"(教育評論家)が、小学4年生のクラスの一員として、学校生活をともにおくっていたという体験記である。ただただ、子どもたちと友だちになり、あそび、まなんでいたという体験記である。社会学とか人類学の調査とかではない。


もうまもなくよみおわる。けっこう感動するし、いろいろかんがえさせられる。そして、自分の少年時代のことや、ゆがんでしまった青年時代のことなどを、いろいろと、おもいだす。


おもいだしたことで、割合、重要なのではないかとおもったことを、ここに記録しておく。



「反抗期」のことである。


ぼくにも、もちろん反抗期はあった。母に対しても、父に対しても、反抗したいこころはあった。が、どうやら、兄弟のことや、家族全体のことをかんがえすぎ、全体の調和をみだすまいと、気をつかいすぎていたようで、しっかりと「反抗という"表現"」をすることをできていなかったようにおもえる。みずから、反抗を表現することを抑制し、精神を抑圧していたような感じである。


これがまずかった。これが、精神をひずませ、こじらせていくきっかけだったようにおもう。


ずいぶんおくれて、なんとか反抗の表現をすることができた。時期としては、おそすぎて、たいへん後悔しているが、表現の方法には納得している。


母に対しては、いっさいコミュニケーションをとることをせず、彼女の存在を黙殺した。これによって、母が子に対して、無意識的にもっているつながりをたちきることができたと、感じることができた。親子のつながりがたたれ、人間は個として、存在しているということを、たがいに認識したようにおもう。これができたとき、ぼくは自分の母が、聡明であり、人間としてタフであることをしった。このように、子からの黙殺に、黙々とたえることができる母であってよかったと感謝している。


父に対しては、父からの同調圧力に対して、みずからの意志のちからで、はっきりと「ぼくは、あなたのかんがえかたとは、ちがう。」と、ことばをみちびき、つきはなした。しかし、多少の不満はのこっている。これは、母に対して感謝の気もちをことばにできたが、父へはそれが、まったくでてこないことからも、わかる。父は、自我がまったくもろい人間なのである。たいした人間ではないため、「反抗の表現」に、たえることができない人間なのである。もし、母に対する反抗の表現を父に対してもおこなったとしたら、まちがいなく、父は自殺でもしてしまうような、なさけない人間なのである。そして、さらにいうと、父は、自分が自殺してしまいそうな危機に瀕していることすら、ごまかして、記憶を修正し、みてみぬふりをしてしまうような、ヘボい人間なのである。


話がながくなってきた。ふと、おもったことをメモしておこうとおもっただけなのに。


反抗の表現であるが、父に対しては、高校生のころにでも、「おもいっきり、しばいたる」か、「何度も、目のまえで、バットをふりまわして、モノを破壊して、あばれたる」か、してしまえばよかったとおもう。はげしく、そして、攻撃的な反抗の表現を他者にむかって、すべきであった。残念だが、いまとなっては、「ええ歳して、こんなことは、できない」のである。


これくらいのエネルギーがあったにもかかわらず、全部、こころのうちに、しまいこんでしまったのであるから、そりゃ、精神はゆがんでくるはずである。余談になるが、このような感覚があるから、ぼくは氷室京介に傾倒しているのである。氷室京介は、このいたみを経験的にしっているのである。


家族に対して、気をつかいすぎたことが、つまずきのきっかけのひとつだったようにおもう。あと、まわりことが、みえすぎるという能力は、図太い性格を身につけなければ、つかいこなせないようにおもう。


適切に反抗できる、「反抗の表現技術」みたいなものがあればよいのにとおもう。