何気なく、手にとって、よみはじめた『街道をゆく43 濃尾参州記』は、司馬遼太郎の遺作のひとつだった。
はじめの方は、ぼんやりとよんでいたが、よみすすめるうちに、たのしくなってきて、しだいに、本にかきこむメモがおおくなっていった。名古屋のあたりについて、どんな物語が、ひろがっていくのか、ワクワクしはじめた。そんなところで、「ー未完ー」とあったのである。なるほど、だから、司馬遼太郎には、めずらしく、本のなかに、カラー刷りの写真がおおく挿入されているのかと、合点がいった。
文庫本サイズで80ページでおわっているので、あっさりしている。あっさりしているから、画家の安野光雅と週刊朝日編集部の村井重俊の小文が、「『濃尾参州記』余話」として、のせられている。
ここに、おもしろい余話があった。
「街道をゆく」で、「名古屋」をテーマにする構想が、司馬遼太郎と週刊朝日とのあいだに、1991年の秋に、はじめてでたという。それから、3年後の1994年の秋に、司馬遼太郎は講演のために、名古屋におとずれた。10月8日には、中日新聞の会長との会食があったらしい。この日は、プロ野球では「10.8決戦」とよばれる試合が名古屋球場でおこなわれた、歴史的な一日である。野球に興味がない司馬遼太郎も、さすがにサービスで、野球の話をせざるをえなかったという。
以下、「余話」から、原文のママ引用する。
「すごい騒ぎだね。僕のような者でも、今度ばかりは『落合』という名前を覚えた」
隣の名古屋の誰かが勢い込んで聞いた。
「じゃ槙原は知っていますか」
「そこまでは知らない」
「『濃尾参州記』余話」は、いつのまにやら、さながら「『10.8決戦』余話」である。10.8決戦では、落合博満は先制ホームランをうった。そのとき、うえの会食に同席していた中日新聞の幹部たちは、「まーた、帳尻合わしとるわ」と、ヒソヒソとはなしていたという。どうにも、落合博満は、むかしから、中日新聞の偉いさんには、ちょっときらわれているみたいである。
まさか、このタイミングで(つまり、ぼくが落合博満に傾倒しはじめた現在のこと)、司馬遼太郎から、「落合(博満)」のことと、でくわすとはおもわなかった。このような脈絡のない"つながり"に、偶然であうことがあるから、本をよむことはたのしいし、著者に対して、いいあらわしにくい愛着のようなものをおぼえるのである。
- 作者:司馬 遼太郎
- 発売日: 2006/03/01
- メディア: 単行本