酒癖が悪化してきているという現実。

酒癖がどんどんわるくなっているということが、すこしずつわかってきた。自分がお酒に、のまれはじめているということは、もはや目をそむけてはいけない事実のようである。最近は、酒量がふえると、みっともなく悪酔いすることが、ふえている。


その傾向をみると、ひとりでしっとりと、ウイスキーに炭酸水500mlほどの、ほどほどな加減の酒量であれば、割合、おだやかにすごすことができている。しかし、これをこえると、すしずつ、表と裏がひっくりかえって、くろいものが、あふれでてきてしまう。


自分のくろい部分がでてきて、むきだしになっしまう。理性の抑制が、どんどんきかなくなっている。はじめのころは、お酒をのんだときにだけ、日常抑圧され、やり場のなくなった憤りが、怒りという形をとって、あらわれているのだとおもえたが、最近では、どうもすこしずつ、変質している気がする。このまま、ごまかしつづけていると、どこかで、とりかえしのつかないことになりそうだとおもう。


ところで、これをかいていて、ふと気がついたのだが、お酒をのんだ裏の自分が、このように限界状態なのだということは、つまり、日常の表の自分も限界だということではないか。裏の自分が、お酒のちからをかりて、補完しようとしているのは、表の自分のかけているところなのだ。


裏の自分は、泥酔するまで、よっぱらって、そのときの記憶を半分ほどうしなような状態で、なにかモノを破壊したい衝動にかられ、大声でさけび、なにかに対して「死ね」と悪態をつきたくなる。そして、いまや、すこしずつではあるが、その衝動にもとづいた行動を実際におこしはじめている。


表の自分のなにがかけていて、このようなことに、なってしまっているのだろう。表の自分は、一生懸命に落合博満の探究に、はげもうとしていて、けっこうたのしんでいるので、ある意味充実しているような気がしているのだが、これは、いつわりの充実なのだろうか。


あるいは、落合博満への傾倒は、表の世界からの逃避なのだろうか。裏の自分の表化なのかもしれない。このために、バランスがくずれてしまって、はげしく、お酒によっぱらってしまうのかもしれない。こうおもうと、たしかなように、おもえてきた。


最近は、ほんとうに、お酒がうまくない。もう一度、たのしく、お酒の海で、プカプカと、うかんでいられるようにありたい。


バーボンウイスキー ジムビーム 700ml

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  • 発売日: 2016/07/05
  • メディア: 食品&飲料